記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

これまでの記事で書かなかったことのまとめ,2024年1月22日


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5


注意

これらの重要な展開を明かします。特に、PG12指定の映画『シン・仮面ライダー』にご注意ください。

特撮映画

『シン・仮面ライダー』

漫画

『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー』
『銀魂』

テレビドラマ

『光る君へ』

『シン・仮面ライダー』漫画版のパターナリズムと「自己責任」論

 『シン・仮面ライダー』漫画版で、秘密裏に非合法活動を行うもののまだそれなりの善意があるショッカーのナノロボットが流出して動物を凶暴化させたとき、ショッカーにより人工的に生み出された人間のひろみやルリ子のいる保育園に引き寄せられて襲って来ました。
 それを避けることも出来たのですが、まだ保育園児でありながら常人より強いひろみは、そのクマを打ち倒そうとして、通常のクマより強かったので反撃されて負傷し、弟の透が鎮めて返しました。そのあと人間に殺されたか分かりませんが。
 それで騒ぎが大きくなったため、ルリ子の父親でありショッカーの科学者の緑川弘は、ひろみ達に保育園を休ませて「しばらくこちらの施設でおとなしくしなさい」と言っていました。「我々大人の落ち度だ」とも言っています。
 これは、「相手のためを思い自由を奪う」パターナリズムと、一見逆に思える「自己責任」論が結合する余地がありました。
 緑川弘はまだ善意が残っている様子もあり、本当にひろみ達を心配して、相手の自由を善意で奪うパターナリズムを働かせたのでしょう。
 しかし、ここに緑川弘より冷たい人間がいれば、「そもそもお前が勝手な行動で負傷したから騒ぎが大きくなってこうせざるを得なくなった。隠れるぐらいは我慢しろ」という、「困っている本人の行動にその原因を求める」「自己責任」論を言ってもおかしくありませんでした。この件は、私の見る限り、「1割ほどはひろみの責任」です。
 少なくとも、ひろみが戦わなければ、負傷は避けられた可能性がありました。

2024年1月22日閲覧

 パターナリズムの反対が「相手の好きにさせてその責任を取らせる」「自己責任」論ではないか、という主張はありそうですが、この場合は、パターナリズムと「相手が困るのを相手の行動のせいにする」「自己責任」論が結び付いています。
 おそらく、人間が他者にかかわるときに、損害だけを与えるのはともかく、利益だけを与えることは出来ず、事実の現象か解釈の意見かは場合によっても、利益と損害を同時に与えざるを得ないのでしょう。その利益を「相手の望まない形で与える」パターナリズムと、相手の望まないかはともかく損害を「相手の何らかの過去の行動のせいにする」正当化が結び付くことで、「自己責任」論がそろってしまうのでしょう。
 一見逆であるパターナリズムと「自己責任」論の両立は、考える余地があります。

コウモリオーグらしい男とクモオーグ

 『シン・仮面ライダー』のコウモリオーグらしい男が漫画版にいますが、「画期的な」研究で有名になったあと、共著者の不正の責任を取らされたそうです。
 それを見抜いた緑川弘の出現に、本当に喜んでいたようですが、「女、よく聞け!」という台詞から、どうも女性嫌いの可能性があります。
 彼がコウモリオーグならば、あえて際立って異形になり、戻れない変身を選んだのはクモオーグに近いかもしれません。クモオーグもゲイが「人間嫌い」のきっかけで、女性嫌い、なおかつ「一般基準で美しいものが嫌い」の可能性もありました。
 しかし、クモオーグはそれが場合によっては、緑川弘のショッカー参入のきっかけの妻の死がなかった場合、元々緑川弘に入る素質があったので、緑川弘と対立し、場合によっては罪の特にないはずの妻すら殺したかもしれません。コウモリオーグも、緑川弘の存在に喜びながら、その妻を敵視するような関係になったかもしれません。

2024年1月22日閲覧

コウモリオーグの「凡人にも理解出来る芸術」

 また、コウモリオーグが人間を操り、たやすく殺すヴィルースを開発して実行したとき、「これで凡人にもわしの芸術を理解出来たかな?」というのは、もしかすると、自分が以前社会に公表した技術のうち、本当に有効であるにもかかわらず、関係ない不正で否定された部分を、「凡人にも理解出来る」ように活かしたのかもしれません。

『光る君へ』のパターナリズムと「自己責任」論

 ちなみに、『光る君へ』で、貴族の娘にふさわしくないとされる代筆などで自由を求めていたらしい主人公のまひろに、父親が「外出して良いから」とある場所での遊びをさせたものの、それは父親が政治についての情報を集めるためでした。
 そのとき父親は、娘を利用していることを、「お前が外に出たがっていたではないか」と正当化し、なおかつ「あの場にいればお前の学びにもなる」と言っています。
 これも、相手の行動や願望を原因として相手の嫌がる行動をさせる「自己責任」論と、さらにそれが相手のためだと自由を奪うパターナリズムが両立したと言えます。
 『光る君へ』では、「籠の鳥は外では生きられないから守ってあげなければならない」というパターナリズムもあり、それと「自己責任」論の関係もありそうです。

『銀魂』のパターナリズムと「自己責任」論

 『銀魂』で、窃盗から足を洗った貧しい天人あまんと、宇宙人のキャサリンは、一度自分が盗みに入ったにもかかわらず出所したあと再雇用してくれたお登勢に恩義を感じていましたが、かつて共に行動していた窃盗団に誘われました。
 その男は、キャサリンの家庭への仕送りの事情も考えて、「稼ぎのある仕事の方が良いだろう」と言っており、キャサリンの口の悪い態度にも「相変わらず」と言うだけなど、ある程度は仲間の意識があり、気を遣っていたとも取れました。「犯罪でも加わるのがお前のためだ」というパターナリズムかもしれません。
 しかし、足を洗いお登勢を守るために自分が犠牲になろうとするキャサリンに「お前も俺達と同じ穴の狢だろう」、「一度泥に浸かれば一生その中で生きて行くしかない」と激昂しました。「私を好きにして良い」というキャサリンに「上等だ!」と傷付けようとしました。
 これはこれで、相手の望まない利益を心配して与えるパターナリズムと、相手の過去の行いを原因として「もう今更足を洗えると思うな」、「傷付けて良いというなら上等だ」と損害を与える「自己責任」論がそろっています。パターナリズムは相手の未来の利益のため、「自己責任」論は相手の過去の行動から損害を正当化する論理になりやすく、いずれにせよ、一見逆でも両立しそうです。

参考にした物語

テレビドラマ

中島由貴ほか(演出),大石静(作),2024-,『光る君へ』,NHK系列

特撮映画

石ノ森章太郎(原作),庵野秀明(監督・脚本),2023,『シン・仮面ライダー』,東映

漫画

山田胡瓜,藤村緋二,石ノ森章太郎,庵野秀明,八手三郎,2023-,『真の安らぎはこの世になく-シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』,集英社
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?