不確実性の海を目指して

ずっと死にたかった。
明日が来てほしくなくて眠れない日、自分が死体になるところを想像すると眠ることができた。

どうして、死ぬのは私じゃないんだろう。
亡くなる人を目の前にするたび、その人が悼まれるほど、どうしてこの人が死んで、私は生きているんだろうと思う。

私が死なないのは、友人たちと約束したからだ。


■1人目の友人
その子は、幼稚園の時に交通事故で亡くなった。クリスマスの朝、サンタが来たと喜ぶ私に、当時同居していた父方の祖父が言った。

「おい、お前の友だち、死んだぞ」

遊びに行った帰り、家の前で待つ家族を見つけて、左右を確認せずに道を渡ってしまったのだと聞いた。

そして、家の目の前で亡くなったことについて、心ない人たちが遺された家族に言った。
「あなたが止めれば良かったんじゃないの」
「目の前だったなら叫んだら聞こえたんじゃない」
「普段からしつけてなかったからでしょ」
ただでさえ自分を責めていたその子の母は、お酒に逃げるようになり、一家は離散した。

家族思いの子だった。

自分のせいで家族がばらばらになったと知ったら、悲しむだろうなと思った。


■2人目の友人
その子は、中学生の時に病気で亡くなった。
突然の入院にその子の親も驚いていたが、私はそんな予感がしていた。
時折見せる苦しげな表情、冷汗を浮かべる白い首筋。
当時私はいじめを受けており、正直学校には行きたくなかったのだが、「その子にノートを貸して勉強を教えてあげる」と勝手に決め、丁寧にノートをとっていた。
その子の入院は1カ月続いた。

入院からちょうど1カ月、学年集会が開かれてその子が亡くなったことを知った。

最期の言葉は「お母さん、ありがとう」だったそうだ。
泣き叫ぶ同級生を冷めた目で見つめていた。こいつら、私と同じやつらにいじめられていたその子を、誰も助けなかったのに。

母親同士が仲良くしていた関係で、お線香をあげに行ったことがある。
子供を亡くした母親、が纏う悲しみの布で息が詰まりそうになった。
こんなに悲しそうにしていては、友人が悲しむだろうと思った。

そして、「生きること」を最善とし、その子が最も望んでいた「学校に行くこと」を後回しにした(それも大事なことだが)医療に疑問を抱いた。

患者さんが大事にしているものも大事にできる医者になりたい。
それから「3人分がんばろう」と勉強を続け、希望通り私は医師になった。


■安楽死
かくして、死にたがりの私は医師として働いている。
『もう眠』で重苦しく感じたのは、現実にもある「その人自身を大切にできない空気」だろうと思う。

死にゆくとき、命は個人のものではなくなる。
その人自身が周りを気遣ったり、家族であったり、医療者であったり、いろいろな因子が作用して、「その人の死に方」が決まる。

冷たい言い方になるが、「誰か」を心から思って行動できる人(物語で言えば、Yくんの奥さんや吉田ユカの旦那さん)はそう多くない。
「1日でも長く生きてほしい」と言うとき、「1日でも一緒にいたいから」という思いだけではなく、「年金が入らなくなるから」「親戚から言われるから」など本人の意思とは関係ない要素が入ることがある。

そして、医療者にとっても「死はタブー」。
一般病棟でそのような状態になれば「早く緩和ケア病棟に転棟させてください」、「私たちでは十分なケアができませんから」などと言われ、緩和ケア病棟に転入させると「意外に元気ですね、退院調整をしましょうか」「転院予定先の施設に家族が文句を言うので先生から何とか言ってください」と暗に「面倒だ」と言われる。(※すべての病院がそうではないと思います)
さらに、それまで辛い治療を共に走ってきた外来主治医も少し引き気味になる。

私が学生だった10年前は、「緩和ケア医になりたい」と言うと実習中に叱られることもあった。「やる気ないのか」「若造が死を語るな」「負け戦をして何になる」などなど。
時々病院見学に来る学生さんが「緩和ケアに興味がある」と言うのを聞くと、時代は変わったなと思ってしまう。

先日、緩和ケア病棟で「持続的な深い鎮静」をするか否かで大論争になった。
癌細胞で埋め尽くされた肺は、本人に苦しさしか与えなかった。
本人と家族は、「こんなに苦しいのなら、二度と目が覚めなくても眠らせてほしい」と望んだ。
主治医も同意し、鎮静の準備をしようと流れ始めたカンファレンスで、副師長が「鎮静はまだ早いんじゃないですか」と異を唱えた。
もともと在宅療養を希望されており、鎮静が始まればこの病棟で亡くなるのを待つことになる、というのがその理由だった。
家族に「鎮静で意思疎通ができなくなる可能性があり、本人の家に帰りたいという希望を叶えられなくなる」と言ったら悩んでいた、と言い出した。

「そんなことを家族に聞いたのか」と緩和ケア科の医師がため息とともに吐き出した。
普通の人以上に「死」と関わっていてもこれだけ迷うのだ。まして家族となれば、結論など出ない。

そう、確かに「日本には安心して死ねる場所はない」。

医者は神様ではないから、何が最善かなどわからないと思う。
どのタイミングで薬を使えばいいか、その鎮静は正解だったか、などはただ主観でしか評価できないのである。

■視野狭窄
『もう眠』にも出てきた松本先生の講義を大学で受けたことがある。
覚えているのは、「視野狭窄」という話だ。
自殺をする人というのは、自殺以外の選択肢があったとしても、井戸の中から空を見上げているように、それしか目に入らない。
空はもっと広くても、井戸から見える「死」しか見えなくなっているのだ。

その話を思い出すと、「尊厳死」ではなく「安楽死」や「持続的な深い鎮静」の選択はためらわれる。
本書でも議論されていたが、「耐え難い苦痛」という6文字は海の水をコップに1杯すくったようなものだと思う。
「これは海の水です」
ただ、それは海ではない。コップを見ても海は想像できない。深い青も、波も、夕日が沈むところも、何一つ伝えられない。

「耐え難い苦痛」は身体的なものが原因となぜ言えるのか。
「トイレに行けなかったら、膀胱留置カテーテルを入れたらいいじゃない」
「吐くなら、胃管を入れたらいいじゃない」
「痛いなら、痛み止めを使えばいいじゃない」
尿検査を提出するのが恥ずかしかったことはないか。ウロバックなら恥ずかしくないのか。
排泄物の処理を他人に任せるのは楽なだけなのか。
胃カメラはつらいというくせに、胃管は柔らかくて細いからいいのか。誤嚥の原因にもなるし、始終違和感がある。
痛み止めが聞くまでの、あの心細い不安な時間をあなたは知らないのか。
いじめや過労で死を選ぶ人は「耐え難い苦痛」から逃れようとしたのではないのか。
家族と別れることは「耐え難い苦痛」ではないのか。
収入がなくなるのはどうか。誰かにあるはずの「来年」がある確率が低くなるのはどうか。

医療者は「耐え難い苦痛」を判断する権限など、持ち合わせているのだろうかと考えてしまう。
一方で、本人から見れば「耐え難い苦痛」でも、周りから見れば「軽減可能な苦痛」であることもある。
その際に「本人にとっての耐え難い苦痛」だから、と鎮静を開始することは是ではない。

「不確実性の海に漂っています」
在宅医をしている先生がふとつぶやいた言葉が忘れられない。
追加情報を出すと私は外科医であるが、上司たちの「最高の出来」だった手術がうまくいかないこともある。
大学で学ぶ医学なんて、医療の海をすくう1杯のコップでしかない。

安心して死ねる場所がないところでは、安心して生きることもできないと思う。
それが今の日本の、息苦しさの1つなのかもしれない。
病院では「治す」ことに主眼が置かれてきた。
これからは「治す」ことの先にあることを見据えること――その人が、その人の役割を果たすために治療を選択することが増えればいいと思う。

We ourselves feel that what we are doing is just a drop in the ocean.
But the ocean would be less because of that missing drop.
(Mother Teresa)

私も、「死にたくなくなる」日を目指して、自分の役割を生きていきたいと思います。

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