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加害者は被害者かもしれないことについて

犯罪者が「犯罪者」としてしか見てくれない社会が嫌いだ。

障害者や高齢者は法律で守られるべき存在と書いてあるけれど、犯罪者はそこに含まれていない。

けれど犯罪者は本当にただの「悪者」として怖がられる存在なのか、彼らが犯罪という結果に至るまでの生き 様という過程を見たのか、 彼らは差別される対象なのか、彼らは被害者では無いのか。
多くの意見が飛び交い反発し続ける世界は、多くの悪と正義が存在するようになった。
いつかの世の中では一概に正しいものなんて無くなるかもしれない。
ますます個人の意見が尊重される。
だから考えて欲しかった。
だから苦しんでることを知って欲しかった。
大学生の私が考え行動できることはあまりにも少ない。
今は考える人を増やすことしかできない。
1人でもいいから、ほんの少しでいいから目を向けて欲しいんです。
社会に対して怒りを違和感を抱いて欲しいんです。

「〜しないといけない」
「〜なんて考えちゃいけない」

ことなんて無いはずなのに。
感情なんて紙粘土みたいに自分で形を捏ねて固まるはずないのに。
抑えきれずに狂ってしまうような感情ほど美しくて大切なものは無いはずなのに。
それが誰かの救いになるかもしれないのに。

だからとても愛おしいと思った。
自分の感情と世間一般の理論に相違がある人を。
人間臭いと思った。
それは面倒臭い人かもしれないし、そうじゃないかもしれない、けれどどちらも私はその人にきっと魅力を感じる。

社会も人も絶対に変えられないから、全てを諦めていたらきっと全ての人が葛藤せずに済むんだろうな。
そしたら味が無くなるまで噛み続けた、奇抜な着色料と歯型だけ残ったガムみたいにつまらない人になるのかもしれない。

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