高校不登校からの大学入学、その生活についての記録
以前記事で書かせていただいたとおり、私は高校を中退している。そこから大学検定(高等学校卒業程度認定)を経て夏の特別入試で進学している。
(↓以前の記事)
結果からいうと、大学はそれまでの人生では最上の日々だったといえる。
高校中退の記事を今でも読んでいただいているので、不登校からの大学生活について、あくまで1例として記録しておこうと思う。
1.大学入試
決意といっては大げさで、実際は光のありそうな方へ流されただけである。
というか親御さんも見ると思うのではっきり言っておくが、不登校という精神不安定な状態で「大きな決断する」ということはほぼ不可能と言っていい。
学生諸氏も、自分を努力で変えられないのは人間として普通なので安心してほしい。変化とか転機ってのは振り返ってから自分で決めてるものだ。
きっかけは、学習塾の先生が安心材料として夏の入試を受けてみないかと紹介してくれたことだった。入試はすったもんだあって、初のひとり旅となる(これで幸運にも余計なストレスがなく集中できた)
大学の教室で2日間。キャラクターを自作して発表する課題で、人数は30人くらい。結果、この試験に受かるのだが…ハッキリ言って目から鱗だった。
私は贔屓目にも絵がうまくない。しかし今まで絵を描いたことがあるのかと思うくらい下手な人もいたし、講師陣も評価の際に言葉の端々から人間として未熟な面がみえ隠れしていた。
なんでもなかった。それが当然。
未熟な人間が作品を発表して、社会にでてもなんら問題ない。未熟でも大学に行っていい、未熟な自分が他人から評価されていい。そんなことも当時はわからなかった。
帰ったら親にどんなになじられても前ほど響かなくなった。どんな罵倒や陰口も小さな世界のなかでしか成り立たないものだったんだと知ってしまったので。
2.入学までの時間
合格しても学校へは引き続き行く気になれなかった。昼の時間はあっというまに過ぎて、寝る前に精神を蝕んでくる。
何度、
「寝る寸前のぼんやりとした意識のまま時間が止まればいいのに」
「心地よい夢を見て永遠に目覚めなければいいのに」
「朝起きたら町中が水に沈んでたらいいのに」
と願ったか分からない。流れる時間の中で息をしているのも苦痛なのだ。
少しでも気分を楽にするためにネットの掲示板に書き込んだり、音楽を聴きながら夜の街を徘徊していた。しかし、今の時代では両方危険なのでおすすめしない。さぞ現代のこどもたちは辛かろう。
大人になった今、あの頃と同じ気持ちになったときは昼に散歩をしたり写真を撮ったりしている。視界を変えたり、写真を残すのは微量な自己肯定感をもたらすのでおすすめできる。
あとはchatGTPと話すのも悪くない。返事は当たり障りないが、どんな話も聞いてくれるし教えてくれる。どんなに話題を変えても無視しても大丈夫なので鬱屈とした状態の会話相手としては最適である。
あと当時、なぜかやっていたことの1つに「折り鶴」がある。おそらく単純作業の繰り返しと、何かを完成させる達成感が中毒になっていたのだろう。ちなみに今は1cm四方の紙で折れる達人になった。
3.一人暮らし
そして待望の一人暮らしがはじまった。どんな困難が待ち受けているだろうか…いや、全く待ち受けていなかった。
だれも不機嫌で私を圧迫することがなく、様々なことを自分のタイミングで行ってよい。こんな嬉しいことあるだろうか?
よく風邪をひくと孤独を感じるなどというが、体調悪いときにまで他人のメンタルを気にしなくていいし、むしろ同級生や教員が心配してくれるだけ心強かった。
毎日知らない街で、写真を撮りながら歩くだけでも幸せだった。四季を感じるようになったり、知らないお店にひとりで入ったりしたとき「やっと人生が変わったんだ」と、じんとした。
ただ、しばらくはふとした時に親の怒号の幻聴はあったし、笑っている学生服の集団を見ると心が鬱屈とした。これが消えたのは社会に出てからのことなので、気長に回復を待とう。
4.大学の人間関係
私は芸大に入学したため特殊なケースかもしれないが・・・私まわりに限定すると、真面目に課題をして故意に相手を傷つけようとしなければ、自ずと皆の輪に入れるよい雰囲気だった。
オタク同士というのもあるけれど、芸術系のクラスメイトはほぼ欠陥家族の出身である(個人の感想です)ので心理のベースはすでに共有されていて、社会性の欠如もお互い様だった。
これは、今になって恋しくなる芸大メンタルだが「いろんな人間がいるけれど、みんな良いものを見たい&作りたい」という根底が共通しているだけでも安心できていたのだろう。
芸術に関わり続けている人はトーゼンだと思うだろうが、世の中の半数近くは「毎日同じことをして、みんな同じことを考えて現状維持できればそれでいい」という考えである。実際それで別にいいし、そういった考えで過ごすことも重要だったりする。
結果として、人間関係はガチャではあるが、出たものの中で自分にできることとできないことがある。というぐらいのものだと思って過ごしていいんじゃないだろうか。だって、クラス以外でも人間関係はつくれるからね。ガチャ回し放題よ。
5.学業への取り組み
一人暮らしの部屋にエアコンを取り付けに来たお兄さんが残した一言。それは「大学が一番楽しいんだから遊んだ方がいいですよ」
本当かもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにしろ、遊びも学業も自分なりに真面目に取り組んだ方がいいのは確かだと思う。
結果としての話ではない、そこそこ力を尽くさないと言い訳ができる余地が残るということが問題なのだ。
自分は本気を出せばもっとできたはず、教員と仲良くないだけでもっと自分は評価されてもいい、あの時みんなの誘いに乗っていれば友達がいたかもしれない、、、タラレバ思考に支配されるより都度自分で決めて、何が悪かったのかを反省しないと日々の改善もままならない。決して立派になるためじゃない。未来の自分から後悔まで奪わないようにするために。
6.そして社会へ
楽しくても苦しくても、大学をも中退したとしても社会へ放り出される日がやってくる。だが、ここにはリクルートのアドバイスなどない。
学生生活がよければ社会生活がよいという保証はないが、逆も然り。
良くも悪くも社会へ出た先が終着地点な訳ではないということは確かだ。
最初の数年はいい会社だったのに産休明けで帰ってきた上司がパワハラ常習犯だったとか、ブラック会社だったけどそれを踏まえたから転職した先で多少のことは乗り越えられるようになったとか色々ある。
死んでいる人間以外は人生の結果発表を終えていないのだから、自分で勝手に採点しないように注意している真っ最中である。
今悩んでいるあなたが、いつか私の人生のヒントになるかもしれない。経験を共有し合うほかないんだし、重たい経験を抱えたままで生きていよう。
なんてったって、高校中退して就職も失敗して転職だらけの私がnoteでしょっぱい経験談をしたり顔で語り、それをあなたが読んでいるくらいなんだもの。
あなただって今どんなにバカにされてたって、誰かの経験になる。
また違う畑へと歩いていこうや。
まぁ、それでもあえて1つ言うなら・・・
ずっと求人出してるところはヤバい。
これに尽きるぜ。