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同調ではなく 共有の世界へ

GW2日目
雨降りです。
イベントなど 計画してた人には残念だけど
自然にとっては恵みの雨
そして 乾燥が落ち着き ほこりが流れ
空気が澄んでくる そんな風に感じると
わたしにとっても 恵みの雨です❣️

とある YouTubeをみていて
"孤独"とは何か⁉️  と 話してるモノに
とても興味深く そして共感とあった。

その女性が話すには
孤独とは ひとりぼっちでいることとか
そういう事ではないと
ユングの言葉を紹介していた。

自分の一番 大切なことを誰かと共有できない事

自分という 体の器で考えたとき
確かに同じように共有するとは
とても難しいことなのかもしれない
わたしもそんな事を感じながら聴いていた。

技術や知識 それが人氣などであっても
超越、確立すればするほど 
同じ言語で話せる世界は
少ないのかもしれない。 
だからアーティストや経営者など 
トップアスリートなどでも 
孤独な人が多いとよく聞く。

その女性が違和感として感じる言葉を
いくつか話していた。

薄っぺらい表面的な
『生きているといい事あるよ』とか
『死ぬ氣でやればなんでもできるよ』
というような 言葉に違和感を感じると
自分の価値観としてはなしている。
それは本当に悩んでる人には 
暴力と同じではないかと。

コレをきいていて 
わたしの感じる違和感な言葉に

ビジネス

というワードがある。

好きを仕事に とか 
得意で稼ぐなど
最近よく聞く話し。しかし
それを生きる事は本当に 
しあわせな事なのか⁉️
なんて 感じる。

なぜ ビジネスにしていくという 
思考回路が この世の中的に
確立されていってるのかわからない。

こういう事をいうと
わたしの中にあるブロックがどーだこーだ
みたいな話に結びつけられていく風潮も
だんだんと 自分の感じた事を話す事自体が
嫌になってくる理由のひとつでもある。

このYouTubeの女性が話す中に
"悩んでた時代のわたしと同じような
状態の人がたぶんいるから
わたしは ひたすらできる事をするだけだ"

と話しといた。
自分の経験を押し付けるのではなく
自分の経験からの言葉を 共有できる人へ
届けば良いという意味なのだろうか。

このような考え方には
きっと ビジネスという言葉は
現れないのかもしれない

届けるためのツールがYouTube
共有した人たちがいるから
収入になっている…

この流れが本質なのかなって

引き寄せなどのブームのなか
時々 違和感を感じる場面に遭遇する。
そして 違和感を伝えると 
『みんな違っていいのだよ‼️』といいつつも
その違和感を感じた者への 
反応が露骨であったりする。

今 みんな同じになることを 
統合のような思い込み 勘違いが
起きているのではないかな
と 時に感じる。

共有とは 同じになる事ではない。

言葉が通じないと苦しむ人ほど
もしかしたら 感性を生きているのかも
しれない。

そんな事を感じる朝だった。

YUKIKO

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