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中学社会歴史分野の教科書を全て暗記すると共通テスト日本史Bで何点取れるのか④大問3

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独立行政法人大学入試センター
令和3年度共通テスト(1月16日・17日) 日本史B

中学社会の教科書は
 東京書籍『新しい社会 歴史』(令和3年2月10日発行)
より引用しております。


今回は大問3です。



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国語の問題寄りですが、中学レベルの日本史知識だと資料中の
「院庁下文」「郡司」あたりの日本史用語で戸惑うかと思われます。
中学教科書では「院庁下文」は記載なしですが、
Xの文中にわざわざ「下した文書」と書いてあるので
語意は推測可能とし、Xは正しいと判断できます。
「郡司」は律令国家の地方統治で国司の部下に該当する役人だと
教科書41ページからわかりますので、
Yも正しいと判断できます。
正答は①、得点4です。




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これは絵図の読み取り問題です。
牓示の語意は前問で説明があるので、
あとは問題文通りに日本語が読めれば解けます。
正答は③、得点3です。


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下線部bは「都市と地方の往来はますます活発になっていった」
ことです。

選択肢①は伊勢平氏について教科書に記載なく正誤判定不可。

選択肢②は「禅文化が東国にも広まり」の部分は

栄西や道元は座禅によって自分の力でさとりを開こうとする禅宗を宋から伝え、臨済宗や曹洞宗を開きました。禅宗は武士に気に入られ、幕府は中国から僧を招いて禅宗を保護しました。(教科書73ページ)

より、正しいと推測可能です。
「鎌倉には壮大な六勝寺が造営された」については
教科書中に六勝寺について直接の記述はありませんが、
教科書68ページ欄外写真「現在の鎌倉」に
鎌倉五山の位置は明記されており、
しかもどこも山中にひっそりと存在する雰囲気ではあるので、
誤りだと判断可能と言えば可能です。
しかし、さすがにこじつけ過ぎな気がするので正誤判定不可とします。

選択肢③は教科書に記述がないため正誤判定不可。

選択肢④は

一方、将軍に忠誠をちかった武士は御家人と呼ばれ、京都の天皇の住まいや鎌倉の幕府を警備し、戦いが起こったときは命をかけて戦いました(奉公)。(教科書68ページ)

と合致するので正しいと判断できます。

正答は②、選択肢を3つまで絞れたので得点は3×1/3で1点です。


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巻末の年表より、山城の国一揆は1485〜93年、
加賀の一向一揆は1488〜1580年だとわかります。
しかし、Ⅰの「畠山氏両軍を、この年退去させた」と
Ⅱの「この年守護富樫氏を滅ぼした」については
具体的な年号は記述がないため
非常に惜しくも順序の判定不可です。
正長の徳政一揆(土一揆)について教科書では年号は記載なしですが、
巻末の年表に15世紀前半の時期、
つまり山城の国一揆や加賀の一向一揆の前の時期に
「土一揆が起こる」と記載されているので、
Ⅲが年代順では一番前だということだけはわかります。
正答は⑤、得点は3×1/2で1.5点です。


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下線部dとは「都市と地方の関係」のことです。


選択肢a、西行は新古今和歌集の項目で名前が出てくる(教科書72ページ)ので、
連歌は関係なさそうだが決め手に欠けるので判定保留。
選択肢b、宗祇は教科書に記載なし。
ただし、連歌は室町時代の文化で扱われている(教科書86ページ)ので、鎌倉時代の西行は誤りだとわかります。

選択肢cの赤絵、選択肢dの瀬戸焼については
どちらも教科書に記載なし。

正答は④、得点は3×1/2で1.5点です。


【得点合計】
問1(1)4点
  (2)3点
問2 1点
問3 1.5点
問4 1.5点
合計 11点(16点満点中)

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