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中学社会歴史分野の教科書を全て暗記すると共通テスト日本史Bで何点取れるのか③大問2

画像は全て

独立行政法人大学入試センター
令和3年度共通テスト(1月16日・17日) 日本史B

中学社会の教科書は
 東京書籍『新しい社会 歴史』(令和3年2月10日発行)
より引用しております。


今回は大問2です。

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地図Ⅰは

3世紀になると、中国では漢がほろび、魏・蜀・呉の三国に分かれて争いました(三国時代)。(教科書33ページ)

より、3世紀のものと判断できます。

地図Ⅱは

5世紀から6世紀にかけて、中国は南朝と北朝とに分かれて対立し(南北朝時代)、朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅が勢力を争いました。(教科書35ページ)

より、5世紀のものと判断できます。

地図Ⅲは消去法で1世紀とわかりますが、
「2世紀ごろの東アジア」の図(教科書33ページ)とほぼ一致しています。

正答は⑤、得点3です。


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Xは国語の問題です。
万葉仮名の知識があれば、または「漢字の音を借用」の意味がわかれば
正しいと判断できます。

Yは教科書には直接の記述はありませんが、欄外の読み取り問題として

みんなでチャレンジ
(2)③(前方後円墳の分布図)と⑨(ワカタケル大王の名を刻んだ鉄剣と鉄刀の写真)から、当時の大和政権の勢力がどこまでおよんでいたと考えられるか、グループで話し合いましょう。(教科書34ページ)

が載っています。
前方後円墳の分布図には
江田船山古墳と稲荷山古墳の位置が明記されているので
Yは正しいと判断できます。

正答は①、得点3です。


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選択肢aは国語の問題です。
事例1とは反対の内容なので、誤りだと判断できます。

選択肢bも国語の問題です。
事例2と合致するので、正しいと判断できます。

選択肢cについて、吉備真備が教科書には記載なしのため
判断できず。

選択肢dは

唐が新羅と組んで百済をほろぼすと、663年、中大兄皇子らは、百済の復興を助けようと大軍を送りました。しかし、唐と新羅の連合軍に大敗しました(白村江の戦い)。(教科書39ページ)

から7世紀後半という時期に当てはまることがわかります。
「亡命貴族らが日本に逃れてきた」については
直接の記述はありませんが、
教科書欄外の「水城の断面図」の説明に

水城や山城は、白村江の戦いの後に日本にわたってきた、百済人たちの知識を基に造られました。(教科書38ページ)

とあり、先進的な知識を持ち、倭人に受け入れられるなら
それなりに身分の高い人々なのだろうということで、
正しいと判断できます。(ややこじつけ感はありますが…)

正答は④、得点3です。


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下線部dとは
「日本独自の文字として、9世紀ごろに平仮名と片仮名が生み出され、
10世紀から11世紀にかけて定着していく」
のことです。
根拠a〜dが、
X「日本独自の貴族文化」なのか、
Y「中国文化の影響も見られる」のか、
どちらに当てはまるのか考える、国語の問題寄りな設問です。
字面だけ追って、「唐風→中国風だから中国由来の話はXだ!」と
早合点してはなりません…

根拠aのキーワード「大学」「紀伝道」は教科書に記述なし。
「儒教」は中国文明の説明の中の

この教えは儒学(儒教)と呼ばれ、後に朝鮮や日本にも伝えられて、人々や社会の在り方に影響をあたえました。(教科書25ページ)

より、Yに当てはまることがわかります。

根拠bは

とりわけ唐の影響が弱まった9世紀の末ごろから、仮名文字による文学作品が盛んに作られました。「竹取物語」などの物語や、紀貫之らがまとめた「古今和歌集」などです。(教科書50〜51ページ)

より、Xに当てはまることわかります。

根拠cは国語の問題で、Yですね。

根拠dのキーワード「白木造」「檜皮葺」「畳」は
どれも教科書に記述がないですが、
畳と言えば日本家屋ということでXだと判断可能です。

正答は③、得点3です


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こちらも割と国語の問題です。

選択肢①は、「Aさんの発表要旨」中の
「前近代における東アジア間の外交においては、
 正式の漢文体で書かれた国書をやりとりするのが原則で、
 倭国も漢字の使用を求められたと考えられる」
の部分と合わないため、誤りだと判断できます。 

選択肢②は、問2の江田船山古墳出土鉄刀の銘文の内容と合致するため、
正しいと判断できます。

選択肢③は「Bさんの発表要旨」中の
「日本で漢字が行政の場でも広く使用されるようになるのは、
 7世紀後半以降のことである」
と概ね合致します。
なお、律令制度の導入時期については

天智天皇の死後、あとつぎをめぐる戦い(壬申の乱)に勝って即位した天武天皇は、大きな権力をにぎりました。天武天皇は、唐や新羅に負けないための国づくりを目指し、中国にならった律令や都、さらには歴史書を作るように命じました。(教科書39ページ)

とあり、壬申の乱は巻末の年表より672年、
つまり7世紀後半だとわかるので、
選択肢③は正しいと判断できます。

選択肢④は

また、藤原氏から出た天皇のきさきたちの周りには、教養や才能のある女性が集められ、紫式部の「源氏物語」や、清少納言の随筆「枕草子」などが生み出されました。こうした女性による仮名文学が多いことも、国風文化の特徴です。(教科書51ページ)

から、正しいと判断できます。

正答は①、得点4です。

【得点合計】
問1 3点
問2 3点
問3 3店
問4 3点
問5 4点
合計 16点(16点満点中)

まさかの満点でした。

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