21:コロナ禍での再入院と広がる溝
前回記事を書いたのが2020年四月。結びはこうしたものになっていた筈。
『今後は特筆すべきことや、飛躍的変化があればまたノートに…』
結論から言えば飛躍的な変化は無く大きな災いが2つ訪れた。コロナの足音がヒタヒタと訪れていた四月。世界的に生活のありかたが大きく変化した時期に私たち夫婦も大きなぶつかり合いを繰り返し、お互い疲弊し、それでもなんとか共に歩いて行こうと必死だった。コロナによって予定していた私の文筆での(絵はもう描けないので)アルバイトは全て無くなった。…いや体のいい首切りの口実?と思うくらいには状況の悪化で心が狭くなっている。無職だ。
そんななか夫の仕事もあまり無くなった。夫は私が脳梗塞の後遺症を抱えたことで共に支えて暮らしていく為にもう一つ仕事を持った、それが2019の12月。なので仕事的にこの時期は超駆け出しである。でもそんななか二人分稼ぐのと私のケアで疲弊していた。私は私で毎日悪夢を見た。…いや悲しい夢か。夢のなかでは普通に歩けた。でも起きると足が重りを付けたように重い。そんな毎日で「あ、もう普通には歩けないんだ。友達とも遊びいけないんだなー」などと思っては絶望的な気持になり、朝夫の寝ている部屋に行ったりしたがそれが夫としては支えないといけないモノがまたヒトツ(金銭的な意味でなく精神的にも)と追い詰められ逆に私が不安になることを良しとしなかった。いつも笑っててくれたらあとは何とかするから。何かあったら外に行って他の人と話してくれと言い、それならそうしてみようと思った。毎日後遺症(高次脳機能障害)がバリバリだった。何かするたびに何でそれをしていたかわからなくなった、三月くらいから比べ寧ろ悪くなったのではないかというくらい。明らかに外出規制、自粛の影響で4月は殆ど外に出ず篭ったせいだったのではないかと今は思う(2020、十二月現在)
話せる人もいなかった。今は東京に戻ってきているが10年ほど離れていた。その間にできた交友関係は疎遠となりコロナで決定的になった。遊びに誘っても断わられた。とにかく元々友達の数自体少ないのでその計画はうまく行かなかった。寂しさと夫との軋轢から私は酒を飲んだ。それだけではなく夫がキレて物に当たる頻度も増えた。わたしは自分の障害とリハビリに大事な時期だというのにそれをコロナに潰された苛立ちから酒を再開したのだ。
焼酎ロック。入院中は酒が飲めないから飲んでいないし、この時点で飲む必要は『とにかくニコニコ笑っている女』になるためだ。ほぼ仕事しかしてこない人生で自分自身で稼げないということは大きな喪失だった。イラつきのやり場もなく酒を飲んだ。
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