今夜もメルルーサ

2019年10月まで漫画家として活動、脳梗塞により入院、それにより高次脳機能障害、ゲルストマン症候群となり廃業。入院記録と退院後の所感掲載中。現在無料公開中ですが今後とも記録を続けるためのモチベーション維持としてサポートご支援いただけたら幸いです😊

今夜もメルルーサ

2019年10月まで漫画家として活動、脳梗塞により入院、それにより高次脳機能障害、ゲルストマン症候群となり廃業。入院記録と退院後の所感掲載中。現在無料公開中ですが今後とも記録を続けるためのモチベーション維持としてサポートご支援いただけたら幸いです😊

マガジン

  • 今夜もメルルーサ【リハビリ毒妻編】

    2020年の退院後、リハビリが必要ななかコロナ禍が起き、完全廃業や夫婦間の軋轢などハードなノンフィクションになっております。危機下でいかにリハビリを効率よく続けるかの記録。

  • 今夜もメルルーサ【入院闘病編】※無料※

    2019年秋から脳梗塞による入院、病院でのリハビリを経て2020年、退院後の高次脳機能障害後遺症を伴う生活を記録したものをまとめました。完全ノンフィクションですが描写は重くならず読み物として成立するように努力しています。色々と記憶から抜けてしまう障害が回復期に向かう以前に、自分への記録の意味で書いたものなので「忘れない」こと優先で今読むと(2020冬)粗削りで申し訳ありません。

最近の記事

大事なこと:漫画家で生きたかった

私は2019年の秋に脳梗塞で倒れるまでずっと漫画家をしていた。子供の頃から画家や芸術家や文筆業など文芸を生業とする祖父や親族のもとに育ち、いつかは自分もそうした仕事に就くんだと思っていた。そこには何の疑いもなくてただ子供の頃から入賞したり絵の具の色をどの色とどの色混ぜればどの色ができると、そんなノウハウを持ち。それが否定されることがなかったので絵を描くのが漠然と好きだった。 私の父が出版関係だったこともあり、子供の頃の家にはいろいろな雑誌が転がっていた。今では多分考えられな

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    • 30:スパルタ新婚旅行。毒妻爆誕〜混沌の未来へ〜終

      (写真は鎌倉の海) 夫と結婚してから旅行に行ったのは今回が初めてだが以前に鎌倉に遊びに行ったことはあった。私と夫は誕生日がほぼ十日違いで同じ二月生まれ。その時は合同誕生日会をした。懐かしい。まだ私が厄介なことになる前だ。あの日に死んでいたら幸せだったかと思ったが、幸せが更新していく。 いつもそうだ。夫といると幸せが更新される。元来、若い時にいろいろやり尽くしてしまったので、人生飽きていた。それでも人は食う為に生きていく。だからうまくいかない事が多々ある中、わたしは震災で家

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      • 29:怒涛の段差強化トレーニング!

        (写真は鎌倉銭洗い弁天) 11月に入り穏やかな時間が流れていた。夫はキレたり暴れたりしなくなり、無理矢理「良き人」を頑張っている感じもなくなった。もしかしたら私と絶対別れられない事を察して観念したのかも知れず(笑)または引っ越しの話が出たことで、次回の更新に管理会社から追い出されたとしても行き場が出来たという安心感からかも知れない。 私が体調の事で落ちこんでいてもかぶせてキレたりせず、漫画を始め、全ての仕事を失った事などに関しても「しんどいなあ、悔しかったなあ」と耳を傾け

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        • 28:離婚届け

          (適切な写真がないのでとりあえず肉巻き) 11月のあたま。突然降って湧いた話があった。従姉妹が三人目の赤ちゃんを授かり、手狭になったので引っ越しすると言う。だからそこに住まないかと。従姉妹の住んでいるのは私の祖父母の家だった場所。利便性を考えたらめちゃくちゃ良い場所だが老朽化している。私の両親などは、どうせ二年もしないうちに絶対取り壊すんだからとオススメはしていなかった。それでもウチはうるさいと苦情が来ていて次の更新をさせて貰えない雰囲気が管理会社からガンガンでていた。

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        • 今夜もメルルーサ【リハビリ毒妻編】
          10本
        • 今夜もメルルーサ【入院闘病編】※無料※
          20本

        記事

          27:夫以外との一夜

          (写真は大洗港の牡蠣小屋にて) 夏が過ぎた。秋に入り暑くもなく寒くもなく出るには丁度いい季節。八月、九月は夫は何とか夫の理想とする「良き人」を演じようとし普段以上に怒鳴らないように気を付けている様子だったし、このころから仕事以外に空いている時間は武術などの習い事、整体関係の習い事などスキルを積む事へ視野を向けた。そして本業のパフォーマンスがコロナで減った代わりにこちらの方面にシフトしていく。それで仕事が入るのが楽しそうでもあった。とにかく体を動かしたほうが良いんだろうなと見

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          27:夫以外との一夜

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          26:結婚1周年と負の連鎖打破

          (写真は結婚記念日) 『2020年7月15日(水) 02:35 七月十五日は結婚1周年です。2か月めに倒れて幻の新婚生活→殺るか殺られるかの危機→和解…そして伝説へ、だいたいこんな流れでしょうか。お祝いしてもらい「殺るなら今この口が肉旨味のまま殺してくれ!」というくらいハッピーでした。』 Twitterより。 少しだけ日にちは巻き戻る。色々と出かける間に結婚記念日が来た。7月14日。七夕仲直り手打ち式から1週間後のことだ。「フォトウェディングをしたときにアルバムの余白に

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          26:結婚1周年と負の連鎖打破

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          25:転機。もう帰るところはないと確認する。

          (写真は秋川渓谷)

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          25:転機。もう帰るところはないと確認する。

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          24:リハビリ開始と初めてのお出かけ

          (写真は仲直り手打ち式七夕) 7月になろうとしていた。日中はゲーム、そして週1回訪問看護とリハビリが入る。訪問看護とリハビリは主治医と連携していて何かあったらすぐに医師と連絡を取り合ってくれた。家族の負担軽減も訪問看護の目的だったが夫いわく「とにかく外の人と話してくれてるだけでいいから。責められてるみたいな気になるから俺は立ち会いたくない。」という事だった。

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          24:リハビリ開始と初めてのお出かけ

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          23:動き出す。金と人とオトシマエ。

          退院した。まずはてんかんで倒れた事を主治医に報告するために病院に行かねばならない。この時に薬を出されたが、てんかんの症状含め精神を落ち着かせる作用のある薬だった。「旦那さんも色々大変でしょうから」と。この言葉が引っ掛かっていたがその話は後に。

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          23:動き出す。金と人とオトシマエ。

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          22:隣のベットでコロナが出て最終開き直った話

          (画像はこのとき入院した病院のごはん。) ストレッチャーに乗せられて運ばれた先で着いたのは古い病院だ。指が反り返り自分の意図とは違う硬さで硬直したようになっていた。吐き気が止まらずかといって吐くものも胃の中に無く頭痛もはんぱない。吐き気止めの点滴を打たれてしばらく横になる。 てんかん発作だということだった。また脳梗塞が起きたかと思ったが違うようで少し安堵したが脳梗塞を患った人は後遺症でてんかんが出る事も多いらしくまた嫌な症状が1個増えたな…と思った。そうこうするうち指の硬

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          22:隣のベットでコロナが出て最終開き直った話

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          21:コロナ禍での再入院と広がる溝

          前回記事を書いたのが2020年四月。結びはこうしたものになっていた筈。 『今後は特筆すべきことや、飛躍的変化があればまたノートに…』 結論から言えば飛躍的な変化は無く大きな災いが2つ訪れた。コロナの足音がヒタヒタと訪れていた四月。世界的に生活のありかたが大きく変化した時期に私たち夫婦も大きなぶつかり合いを繰り返し、お互い疲弊し、それでもなんとか共に歩いて行こうと必死だった。コロナによって予定していた私の文筆での(絵はもう描けないので)アルバイトは全て無くなった。…いや体の

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          21:コロナ禍での再入院と広がる溝

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          1:はじめに

          入院記録:※入院からの記録であり2020年時点での一応のまとめ。初期の時点では読み書き、及び携帯操作の困難があったため、内容は記憶に頼り一部整合性に欠けると思われるが作為によるものではない。 2019年末以降は自宅でのメモと、メモを元にした音声入力をベースにし、最終的にWordで文の体裁を整えた。 人名や趣旨と無関係な表現の詳細はプライバシー保護のため変更してあるが、内容本筋は忠実な自分への観察記録である。

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          2:倒れる

          写真は搬送先、もしくは入院初期の点滴開始時 2019年。10月10日あたりから繰り返す嘔吐と頭痛で食事はとれず、経口補水液と水を飲みながら過ごす。14日の深夜、具合が悪くて悩んだ末救急車を呼ぶ。(安易に救急車を呼ぶのは先方の隊員の方などの迷惑もあると聞いた事があったため、判断基準に迷った) 救急車で病院に搬送される。その時に色々と検査し、吐き気どめの点滴を打つもぜんぜん効かず。胃酸よる嘔吐をだましだまし看護師さんの質問に答える。 (のちに痛み止めの点滴も入っていたことを聞

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          3:誰の体…?

          写真は一番初めに病室で見上げる形で撮影したもの 一方その頃、私はといえば夜の病室で目覚めた。 この辺の頃の記憶の飛び具合はひどいもので、人によっては記憶は退院する位までぷっつり飛んでしまう人もいるらしいから、まぁ私はましな方なんじゃないかななどと思ってはいるが、とにかく倒れてから最初の記憶はこの夜の病室で目覚めたところから始まる。 腕に点滴がつながっているな、体がしびれる、携帯はどこだろう? 右足は全く動かなかった。 自分の体、特に手足がどこにあるのかよくわからなか

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          3:誰の体…?

          4:最悪な始まり

          何か書いてみてと言われて書いたもの。焦点がずれる。  Twitterを見ると10月17日あたりに頻繁にツイートしていることからこの辺に現在の携帯のバージョン維持を断念して早くもiPhone 8に戻したことがわかる。 結婚3か月で脳梗塞になったので新婚旅行も何もかもキャンセルだったわけだがそんなことになるとは当時、知る由もなかったのでカメラ機能がいいiphone12を購入してしまい旅先の景色を写す予定だった。 そのためガラにもなく高い買い物してしまったがとにかく状況は何も

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          4:最悪な始まり

          5:右手との格闘

          写真は入院初期ベッドで撮ったもの。室温一定で11月は半袖で平気だった。 ひとりでは何もできないから全て看護師さんの手助けをうける。 まず、トイレに行く時は看護師さんを呼んで終わったら流さないで待機する。しばらくして看護師さんが来たら車椅子でまた部屋に戻る。 部屋に戻ると、看護師さんの肩につかまって立ち上がることだけして、私が立っているうちにすばやく車椅子が抜かれる。手慣れた動きに関心しているとまたベッドに戻るために「そのまま腰掛けたら後ろに倒れて下さい」という言葉。そし

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          5:右手との格闘