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本を読むことは「旅」であり「戦い」である|エッセイ


本を開くたび、私はいつも違う世界へ足を踏み入れる。それは一種の「旅」だ。特に小説を読んでいるとき、その感覚はより一層鮮明になる。紙のページに印刷された文字が、瞬く間に広大な世界を広げ、目の前に生き生きとした登場人物が立ち上がる。自分の現実とは全く異なる世界に引き込まれながら、「こんな場所があったら面白いな」と感心し、その世界を共有しているかのように楽しむことができる。

たとえば、ファンタジー小説を読めば、魔法が当たり前に存在する世界に驚き、もし自分がこの世界に住んでいたらどんな能力を持っているのだろうと考えずにはいられない。ミステリーなら、物語の流れに巻き込まれながら、探偵の推理に驚嘆し、自分でも事件を解き明かそうと頭を巡らせる。

これらの本を読むとき、私の頭の中には「疑問」や「反論」はあまり生じない。ただただ物語に浸り、作者が描く世界に心を預ける。小説を読む時間は、ある意味で現実からの小さな逃避でもあり、同時に新たな視点を手に入れる冒険でもある。


しかし、その「旅」のような読書とはまるで別物なのが、ビジネス書や勉強のための本を読む時間だ。この類の本を開くと、私の頭の中では静かな「戦い」が始まる。これまでに身につけた知識や価値観、経験が、新しい情報とぶつかり合う。その過程は、しばしば簡単ではなく、心地よいものでもない

たとえば、ビジネス書に新しいアイデアや戦略が書かれていたとする。私の中で「今までの自分の方法とどちらが合理的か」という感じに「戦い」が始まる。時には「この新しい方法の方が明らかに優れている」と納得し、古い知識が敗北することもある。その瞬間は少し悔しいが、同時に新たな可能性を手にした喜びもある。

逆に、どちらか一方だけが正しいという結論に至らない場合もある。新しい知識には魅力があるが、自分が持っているものにも根拠や価値がある。そういうときは、「お互いのいいところだけを取り入れられないか」と考える。いわば、引き分けに終わった戦いだ。こうして得たハイブリッドな視点は、後々役立つことが多い。

そして、ときには「どちらの知識もいまいち納得がいかない」という場合もある。この「停戦」パターンは一見無駄なように思えるが、それでも「自分に合う解決策は他にあるのではないか」という新たな探求心を生む。これらの過程すべてが、本を読むことを単なる情報収集以上のものにしている。

「旅」と「戦い」。この二つは対照的だが、どちらも本を読む楽しさの核にある。物語の世界に浸り、想像力を膨らませる「旅」的感覚も楽しいし、新しい知識に挑むことで自分を磨いていく「戦い」的感覚もまた刺激的だ。本を読むという行為は、単なる娯楽や学習以上に、自分自身を見つめ直し、成長させる時間なのだと思う。

読み終えた本のページを閉じたとき、私は必ず何かを得ている。それが新しい知識であれ、新たな感動であれ、あるいは単なる考えるきっかけであれ、本は私の中に何かを残してくれる。だからこそ、本を読むことは面白いし、手放せない習慣だと思う。


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