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当たり前のありがたさ|エッセイ
お久しぶりです。める丸です。
生活の忙しさがやっとひと段落して、noteを書くことを再開できるようになりました!!うれしいです。
再開1発目の今回は、当たり前のありがたさについて書いていこうと思います。
忙しい日々から解放され、自分のやりたいことができる時間が増えると、ふと「当たり前」のありがたさについて考えさせられることがあります。
多忙な日常では、仕事や家事、人付き合いに追われ、自分の時間を持つことすら難しいと感じるものです。
しかし、ようやく自由な時間を手に入れたとしても、最初の感動が薄れ、次第にその時間に物足りなさを感じることもあるでしょう。
例えば、朝目覚めてコーヒーをゆっくり飲む時間や、散歩をして四季の移り変わりを感じるひととき。以前の忙しい生活では夢のような時間だったはずです。
しかし、そんな余裕が「当たり前」になってしまうと、次第に退屈だと感じたり、「もっと何かしなければ」と焦りを覚えたりすることがあります。忙しさから解放された私ももう少ししたら焦りだしてしまうと思います。
実際、私たちは常に何かを追い求める習性があります。
忙しいときは自由な時間を求め、自由な時間が手に入ると新たな目標や刺激を欲する。これ自体は人間の成長にとって大切な側面でもありますが、その一方で「何もしない時間」や「ただそこにある日常」を見過ごしてしまいがちです。
しかし、考えてみれば、日々の何気ない時間こそが本当はとても貴重です。
何も予定がない日だからこそ、ふと思索にふけったり、新しいアイデアが浮かんだりします。また、暇だと感じる時間があるからこそ、自分が本当にやりたいことや、これからどう生きたいのかについて冷静に見つめ直すことができるのです。
忙しい生活から抜け出し、自分のペースで生きられるようになったときこそ、日常の「当たり前」に目を向けてみると生き方の幅が広がるのではないでしょうか。
特別なことが起こらない日も、実は幸せに満ちています。
風が心地よく感じられる瞬間や、何気なく口にした食事のおいしさに気づくこと。そのような小さな喜びを大切にすることで、日々の満足感は大きく変わります。
忙しい日々を経験したからこそ、今の時間のありがたさに気づけるのです。
やることがないと思う瞬間も、実は心を豊かにする大切な時間です。そのような時間を楽しみ、味わうことで、人生はより深く充実したものになるのではないでしょうか。
忙しい日々の中で、当たり前のありがたさついて考えてみてみてはいかかでしょうか^-^