囀る鳥は羽ばたかない 9巻を読んでクソデカため息をついた話
親子という関係は非常に厄介だ。
厄介と書いてはいるが、私の親子関係がどうこうという話をしたいわけではない。
親子の関係を本人がどう捉えているかは人それぞれだと思う。血の繋がりがどうかなんて人それぞれだし、両親を尊敬している人、愛している人もいれば、憎い人、記憶にない人様々だろう。
なぜこんな話をしているかと言うと、9巻で矢代は、酷いのが好きだ、と百目鬼に答えているシーンが非常に辛かったからだ。幼少期の矢代が思い浮かんでしまった。マジかよここでかよ、と思った。
義父と百目鬼一緒にするな、という声が聞こえてきそうだが、すまん。一緒に私には見えている。
そう見えてしまうと、それ以前の他の男とヤるのすら怒るんだな…と百目鬼への気付きを持った矢代にちょっと嬉しくなった過去の私すら否定したくなってきてしまったのだ。
何故か。それは、もし仮に当時の義父が自分以外の男に矢代がヤられているのを知ったらどうだろうかと考えたのだ。現時点での私の見解では義父も同じように嫉妬、というか怒るのではないかと思ったのだ。
嫉妬は愛情表現の一つだ。独占欲もそうだ。
じゃあ仮に独占欲だとして、義父は矢代にどんな感情を抱いていたのだろうか。愛情?それとも愛の伴わない性欲?
愛の伴わない性欲に嫉妬や独占欲はあるのだろうか。
…ない、と言いたいところだが正直わからない。私は頭が良くないのだ、許してほしい。
もちろん百目鬼は矢代に対して愛情があるのはわかっている(…え、あるよね?まさかなかったなんてそんな大どんでん返しないよね??)。
けれど嫉妬や独占欲、頻繁に己の身体を求めてくる百目鬼の行動が果たして矢代に愛情表現として伝わっているのか?と考えてみると、今までの矢代を思い返してみるとこれは全くもって伝わらないかもしれない…と絶望した。
だってやってること義父と近いよ。同じとは言いたくないから言わないけど。
義父が自分に愛があったと矢代が思うか?って考えたら、多分それは思わないだろう。じゃあ百目鬼は?
百目鬼はあるでしょ!わかるんじゃん!
…そう思いたかった。でも私が矢代の立場だったら思えない。ああ、またあの時と同じかと考えてしまう。
経験は人を助けるが足枷にもなるのだ。
何度も身体を求めれば心も一つになれるなんて、そんなのお伽話だ。囀るは物語なのでその可能性だって十分あるんだろうけど、どうにもそんな甘酸っぱい要素が見つけられなくて困っている。蜜はどこですか。
矢代にとって義父はどんな存在だったのだろうか。憎くて仕方ない人間だったのだろうか。
義父が大切なわけないじゃないか、と思うかもしれない。性的虐待を受けた子供が親を想うなんてありえないと。
しかし、こればかりは他人にはわからないのだ。子供にとっての親という存在は気持ちがどうであれかなり大きい。良くも悪くも逃げられない存在のように思う。
親となった今、子にとっての自分の絶大な影響力を恐ろしいと感じることがある。矢代にとっての母が、そして義父がどうであったかなんてわかるはずもないが、幼い頃の矢代が自分の心に嘘をついて義父を受け入れていた、そして捨てられたと語る様子を思い出せば出すほど、9巻での酷いのが好きだと百目鬼に言う矢代をみるのが辛くなるのだ。
嘘は鎧だ。己を守るはずの鎧で傷をつける。そして傷は鎧と癒着して剥がせなくなっていく。
今は剥がすことでたとえ傷を負ったとしても、最後に救いがあると思うしかない。
いやでも、なんで嘘つかせちゃうようなこと言っちゃうかなぁ…(クソデカため息)とも思っている。