インド二大叙事詩の女主人公、ドラウパディーとシーター その反復と変形の構造

インド二大叙事詩に『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がある。『マハーバーラタ』の女主人公はドラウパディーという。五人の兄弟の王子を夫に持つ、一妻多夫婚という稀な結婚形態が特徴だ。他方の『ラーマーヤナ』の女主人公はシーターといい、英雄ラーマを夫に持つ、貞淑な妃だ。

この二人は、似ているが、一方が他方の裏返しのような、不思議な関係にある。


誕生

まず、二人とも美と愛の女神シュリーの化身である。化身というのは、神が仮に人間の姿で現れるというもので、いわば分身のようなものだ。神や女神が分身を創り出して、それを地上に降すというイメージだ。

誕生に関しての共通点はもう一つあり、二人とも母親の胎から生まれてこなかったということである。ドラウパディーは祭式において、祭壇の火の中から成人の姿で誕生した。他方のシーターは田の畔から赤子の姿で生まれた。母親の胎から生まれていない、という点では同じなのだが、一方が火の中から成人の姿で、他方が土の中から赤子の姿で生まれているという点で、あべこべの関係にある。図にするとこのようになる。


ドラウパディー:火↔シーター:土

ドラウパディー:成人↔シーター:赤子


森での放浪

次の共通点は、夫とともに森を放浪するということだ。『マハーバーラタ』では、主役の五兄弟とドラウパディーは、十二年間森で放浪生活を送り、十三年目を誰にも正体を知られずに過ごさなければならなくなる。長兄のユディシュティラがさいころ賭博に負けたためだ。ドラウパディーはその放浪の旅の途中で誘拐されるという苦難にも遭遇した。

シーターの方も、夫であるラーマが王位継承者に即位する直前に追放され、ラーマの弟ラクシュマナと共に、三人で十四年間森での放浪の旅を経験する。その途中、シーターが羅刹のラーヴァナに誘拐され、ラーマの苦難の捜索が始まるのだ。


最後の共通点は二人の女主人公の死に方にある。

ドラウパディーと五人の夫は死期を悟ると王位を退いて山へ最期の旅に出て、途中で一人ずつ罪を宣告されて死んでいく。ドラウパディーの罪は、五人の夫のうち特にアルジュナを愛した、というものだった。ドラウパディーは女神の化身として生まれてきたが、人間の女として死んだのだ。

シーターは羅刹王ラーヴァナのもとから救出されるも、二度もラーマに貞節を証明することを強いられ、ついに罪なきことを証明して、大地の中に女神として帰っていく。

これらを図式化すると、こうなる。


ドラウパディー:上昇(山へ登る)↔シーター:下降(大地に降りる)

ドラウパディー:有罪(アルジュナへの偏愛)↔シーター:無罪(ラーマへの純愛)

ドラウパディー:人間としての死↔シーター:女神としての帰還


というあべこべの関係になっている。

「反復と変形の構造」であり、神話ではしばしばこのような現象が見られるのである。

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