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なぜ、あの人との会話は噛み合わないのか?

噛み合わない会話

オフィスの自販機の前でたまたま顔を合わせたAさんとBさん。二人は同じ会社に勤める同期ですが、Aさんの部署は繁忙期に突入した様子でお疲れ気味。
 
Aさん:「最近、仕事が忙しくて大変。先週なんて、毎日夜中まで残業してたんだよ…。」
Bさん:「えー、大変だね。」
Aさん:「そうなの。疲れているせいか、食欲もないし…。昨日の夜なんて、コンビニのおにぎり一つで済ませちゃって。」
Bさん:「おにぎり? そう言えば、私、最近ハマっているおにぎり屋があるんだ。すごく美味しいんだよ。具もたっぷりで、海苔もパリパリで…。優しそうなおばあちゃんが握ってくれているみたいで、それも何か良いんだよね~。」
Aさん:「へえ、そうなんだね…」
Bさん:「うん! 特に梅おにぎりがオススメ! 使っている梅干しの酸っぱさと塩加減が絶妙で最高なんだよ。あとね、鮭おにぎりも…(中略)」
Aさん:「ふーん…」
Bさん:「…あれ? おにぎり嫌いだった?」
Aさん:「いや、そういうわけでは…おにぎり、好きだよ。」
Bさん:「そうだよね、おにぎり美味しいよね。今度、その店、一緒に行こうよ。きっと気にいると思うな。」
Aさん:「あ、うん…。」
 
こんな会話を経験したことありませんか?
 
Aさんは、Bさんに仕事が忙しく疲れていて大変なことを伝え、同情や共感してもらいたかったようです。Bさんには一言「大変だね、大丈夫?」とか「体調崩していない?無理しないでね。」のような言葉をかけてもらいたかったようです。ただ、それだけでした。
 
しかし、BさんはAさんの意図を汲めず、たまたま話に出たおにぎりに反応してしまいました。そして、自分が興味を持つおにぎり屋の話を熱心に語り始めます。Aさんは自分の意図と違う展開に困惑しますが、自分から話しかけた手前、聞きたくもないおにぎり屋談義に付き合う羽目になります。
 
ただ、共感してもらいたかっただけなのに、結局、おにぎり屋の長話に付き合わされ、より疲れてしまったAさん。
 
Bさんには悪意の欠片もありません。Aさんの話に付き合ってあげたつもりです。そして、Aさんが喜ぶであろうと思っておにぎり屋の話をしたつもりです。
一瞬、Aさんの反応に困惑しましたが、最後はBさんの心の中では「きっとAさんはあのおにぎり屋さん、喜ぶだろうなぁ。」と無邪気に思っています。ひょっとするとこの会話の後、Aさんに「いつ、そのおにぎり屋さんに行く?」と具体的な日程を決めるように迫ったかも知れませんし、Bさん自身はおにぎりはそこまで好きではなく、「Aさんがおにぎり好きだから、一緒に行ってあげよう」と思っているかも知れません。
 
こんなことが続いたら、きっとAさんはBさんに話しかけることをためらうようになってしまうでしょう。
Aさんにとっても、Bさんにとっても、幸せな展開ではありません。
 
こういった噛み合わない会話、対人関係がなぜ起こってしまうのか、それを改善するためにはどんなことを意識し、行動すべきなのかを考えていきたいと思います。
私の整理では、これらは本質思考の欠如の典型的な症状であり、多くの場合は防ぐことができるはずなのです。
 

散々な社会人スタート


私は27年近く、外資系のコンサルティングファームに勤めていました。ちょうどキャリアの半分の期間、マネージングディレクターとして組織の運営やプロジェクトの責任者、教育の責任者等をしてきました。また、現在は慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM研究科)の特別招聘教授として教鞭をとっています。専門はプロジェクトマネジメント、モノの考え方(本質思考)等です。SDM研究科の設立から教えていますので今年で17年目になります。
 
私は7年前に「プロジェクトマネジメント的生活のススメ」という本を、5年前に「本質思考トレーニング」という本を出版しました。
そこで共通するテーマは「本質思考」という思考習慣と、それを支える力である「本質把握力」です。
 
私は不器用な方で、新しく始めることについては大概、苦戦します。中学校の時の英語も何を覚え、何を考えたら良いのかがわかるまで大苦戦しました。「なぜ、机をdeskというのだろう?」なんて考えてもわかるわけがありません。が、当時の私にとっては大きな謎であり、「ただ覚えておけば良い」というアドバイスでは動けなかったのです。結果として、中学高校時代の私の最大の苦手科目は英語でした(ちなみに古文も苦手でした。が、古文は勉強しなかったから苦手だったのですが、英語は勉強しても苦手でした)。
 
外資系のコンサルティング会社に入社した時も、同期で一番はじめにプロジェクトをクビになりました。仕事ができなさ過ぎたせいです。あの時も、仕事で覚えるべきこと、考えるべきことがまるでわかりませんでした。自分としてはできる限りの努力をしたつもりだったのですが、空回りも良いところで全くその努力は実を結びませんでした。
そんな散々な社会人としてのスタートを切った私ですが、決して、楽をしようとかサボろうと思ったことはありません。いつも一生懸命でした。が、その努力は完全に空回りでした。
今から思えば「本質思考」「本質把握力」が圧倒的に足りていなかったのだと思います。
 

本質思考、本質把握力とは


本質思考は、その時点、その立場、その状況において、最も大切なものが何かを把握する思考習慣と言い換えることができます。私は何が大切かをわからず、ただがむしゃらに目の前にあるものに食らいついていたような感じだと思います。言われたことをその目的も意識せずにやっているのですから、そりゃあ、望む結果が得られないのは当たり前です。
 
その後、様々な経験を積みながら、徐々に仕事をするコツがわかってきました。
部下も数多くできました。その中にもかつての私と同じように空回りする人がたくさんいることに気づきました。部下以外にも視野を広げてみると、社外にもそんな人が大勢いることに気づきました。
 
そういった人たちに何とか力になりたいと思って書いたのが、前著「本質思考トレーニング」です。
ただ、文字数の制約もあり、前著の中には、本質的問題解決を妨げる思考のワナの紹介とその対処法しか書けていませんでした。確かに自分が思考のワナにハマっている状態を認識できることは意味があるのですが、なぜ、そのワナにハマっているのかという根本原因分析や、具体的な強化方法については言及できませんでした。
 
そこで、「本質思考」をもっと本質的に探究してみようと思ったのです。
ここでは、コミュニケーション、対人関係を中心に、本質思考をより深くお話し、日々感じる「モヤモヤ」を解消できるお手伝いができればと思っています。
 
次回の記事では、冒頭のAさんとBさんの会話の齟齬を読み解いていきたいと思います。


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