見たいものしか見ない人間たち
人は、見たいものを見る性質がある。
人から受け取った言葉、態度を
ありのままに見ることをせず、自分に都合の良い解釈をしたり、自分が受け取りたい部分だけ受け取り文句を言ったり、歪んだ見方をしてしまう生き物である。
見たくないものを見ない
見たいものだけ見る
受け取りたいものだけ受け取り、受け取りたくないものは都合よく悪いように解釈する
"悪"のように聞こえるが、この性質が人間関係を円滑にしたり、自分自身の精神衛生管理にすこぶる役立つ側面もあり、なんとも難しいこの性質。
人や周りの環境から発せられる言葉や態度をありのまま受け取りすぎると疲弊してしまうこともある。
心ない言葉をかける人もこの世の中には残念ながら存在する。
自分の常識とはかけ離れた常識を纏った人間が突然攻撃してくることもある。
そういった時に自分自身を守るために、"棘となるような言葉"を聞き流す力も現代社会を生き抜く我々には必要不可欠である。
一方、冒頭で述べた通り
見たいものしか見ないことにより生まれる誤解や争い、亀裂もある。
自分の都合の良い部分しか見ず、自分の快適さや快楽のみを優先し他者を傷つける。
ありのままに見ることのできない愚かさ
複雑だなぁと
しみじみ思う。
何が大事なポイントだろうか?と考えた時にひとつ、私なりの答えが浮かんだ。
"自分以外のなにかを傷つけたり欺いたりしているか否か"
が、この性質を取り扱う上で大事なポイントなのではないだろうか。
その者たちは
己の感情のコントロールができない状態なのだ。
俯瞰して物事を見ることもできない、または見ることさえも怠っている。
怠ってもいい、なぜなら自分さえ良ければ良いのだから。
人は皆、さまざまな背景をその人生に抱えていると思う。
辛いこと悲しいこともあるだろう。
今、私たちの目の前に見えている景色、世界だけが"その人"なのではない。
だが、しかし。
だからと言って
辛い思いをしているのだから、私はこんなに大変なのだから周りが配慮してよね!
というのは違うと、思う。
自然と生まれてしまう感情に蓋をする必要はないが、感情に振り回され、他者を攻撃し傷付けるのはなんとも勿体無いことである。
自分の感情を大切にするように、相手の感情も想像してみて欲しい。自分以外の人間にも感情があり心があるということを忘れないで欲しい。
言葉は人を傷付ける武器にもなるし凶器にもなる。
でも、
言葉には人を笑顔にしたり勇気づけたり、【誰かを救う力】も同じくらい、いや、それ以上に大きな力がある。
言葉ってそんな力を秘めた素敵なものだと思うから。