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秘密基地
仕事が辛い。生理で体が重い。友人がどんどん結婚して気軽に会えなくなって寂しい。そんな気持ちや体の不調のとき、家の二階の出窓の手前のスペースによじ登り、三角座りをした。
そこに初めて座ったのは、社会人になって二、三年がたったころだった。もう5年ぐらい前の話だが、今日はその当時の話を聞いてもらいたい。
そのころは、というか、今もそうなのだが、仕事の内容には慣れてきていたが、一日のうち最低8時間拘束され、その8時間のうちに、残りの時間に他のことをやる体力までごっそり奪われてしまう。そんな日々の繰り返しには、いつまでたっても慣れなかった。いつの間にか疲れがたまっていたのだろう。私はどこか狭い場所に閉じこもりたかった。
しかし、家族が暮らす狭い家には、自分専用の部屋もなければ、占領できる狭い場所もない。生まれたときから25年間離れたことのない家はどこも見飽きていた。そんな家の中には、どんよりとした暗い気持ちを晴らせる場所などない。
ところが、ふと気が付いた。
出窓の手前の棚のようになっている場所。そこの奥行きが、私の身幅にちょうどよさそうだ、と。
座ってみよう。むしろ、どうして今までそこに座ったことがなかったのだろう。
出窓は二階の一番端の部屋にある。その部屋は、祖父母がこの家を買ったときは存在しておらず、のちに増築した部分らしい。建物の増築というものがどのようにしてされるのか全く知らなかった子どもの私は、この部屋に重いものを置きすぎてはいけないのだな、と思った。あまり負荷をかけすぎると、家の他の部分からこの部屋だけがメリッと音を立ててはずれ、地面に落っこちるのではないか、と思ったのだ。
今では、そんな心配はない、とわかっている。しかし、この出窓の部分だけは、地面まで何の支えもなく、ただ出っ張っているだけだ。それは、不安定な増築部分に、さらに、とってつけた場所、というように感じられた。
人ひとりが座ると、出窓部分だけポロっと外れて落ちるんじゃないかしら。幼い頃に抱いた不安を思い出しながら、私は恐る恐るそこにのぼった。びくともしない。しかし、私の下には何も支えがないのだと思うと、やはりどこか心許なかった。同時に、わずかに高揚した。
私の下には何もない。まるで空中に浮いたシェルターにいるようだ。
実際には、私の左側には部屋が広がっている。しかし、フローリングの床から離れた私は、その部屋から自分のいる場所が切り離されているように思った。
顔を傾けて、外を見た。初めて見る景色のようで、驚くほど新鮮だった。
こんなに広く家の前が見えたのは初めてだった。それまで、向かい側の古い家以外を見ようと思うと、部屋のフローリングに足をつけたまま、出窓のぶん体を伸ばして見なければならなかった。それでも見える範囲に限りがあるから、家の前の道の先の突き当りや、家の真下の様子は見えなかった。
ところが、今、それらが難なく見える。まるで自分の視界が広くなったような解放感だった。
道の先で縄跳びをしている小学生らしき兄弟や、家の前を通る近所のおばさんたちは、私がここから見ているということを知らない。宙に浮いたこの場所から、こっそり世間を覗き見ている。なんだかいけないことをしているようだ。
気付けば、疲れが軽くなっていた。寂しさも紛れた。ここに座ることが出来るのは私一人だけだ。一人で充分じゃないか。
幅がぴったりなので、妙に閉じこもっている感が出るのもよかった。左側は部屋があってその先にも部屋がある。そこには家族がいてテレビを見ている。全く閉鎖的とは言えないが、自分だけの空間であるという気がして満足だった。
祖母がテレビの部屋からこちらへやってきた。今年のはじめに亡くなった祖母は、このときはまだまだ元気だった。
このころ、出窓がある部屋には小さな冷蔵庫があった。祖母はその冷蔵庫に入っている飲み物を取りに来たのだった。出窓に座る私を見て、驚いた顔をした後、薄く笑った。それは祖母がよくやる愛想笑いだった。
少し気まずくなった。悪いことをしているような気になった。この部屋が増築であると私に教えたのは祖母だった。祖母はそのほかにも、「あんたが赤ちゃんのとき、あんたの母さんは出窓の下にソファなんか置こうとしてな。あんたが間違って窓から落ちたらどうするんやって、おばあちゃんが止めたんやで」と得意げに話していた。私にこの部屋とこの窓が危険な場所であると教え込んだのは祖母だったのだ。
このときも、「そんな危ないところに」と咎められると思った。そう言われてしまうと、私はここから降りなくてはならない。その後は「おばあちゃんに怒られたから」と、この場所は私の中で立ち入り禁止区域になってしまう。それは嫌だった。しかし、家族から「それはダメだ」と言われると、逆らうことができないのが、私の性格の損な部分だった。
しかし、祖母は曖昧な薄笑いを浮かべたまま、「狭くないか?」と尋ねてきた。
この質問に私は面食らった。よりによってそれか、と思った。他にも言いたいことがたくさんありそうな顔をしておきながら、小言ひとつ言わず、この場所が私にとって快適なのかどうかを尋ねてくるとは思いもしなかった。
「狭くないよ」
「そうか」
祖母は薄笑いを変えることなく、冷蔵庫から飲み物を取って、元のテレビの部屋へ戻っていった。
私がもっと子どもだったら、きっと祖母は、飲み込んだたくさんの言葉のうちから、「危ないで」とか「なにしてるん、そんなとこで」とか、私がここに座っていることを否定するものを選んで口にしただろう。
そうか、私が大人になったから、祖母は咎めなかったのだ。大人になった私は誤って窓から落ちることもないだろうし、そこに座っている理由はわからなくても追及したり否定したりするほどでもない。そう思われたのだろう。
大人になったからこそ、ここに座ることを許されるようになったのだ。
それから、私は気分が沈んだり疲れたりしたときは、出窓の手前に座るようになった。
普段の生活では見慣れない開放的な視界。狭い場所に閉じこもりながら宙に浮いているような錯覚。非日常的なそれらに包まれて私は安心した。職場や家庭内で嫌なことがあって乱れていた心も、そこでじっと三角座りをしているうちに落ち着いていった。見慣れない開けた視界とともに、ストレスによってきゅうと丸まっていた自分の体が、ほぐれて開いていく。
再び部屋のフローリングの床に足をつけるとき、出窓に上る前よりも、体が軽くなっている。