フェリーニ『道』 -1950年代のお伽話-
ここの記事とコメント欄に登場する「年間読書人」氏はミステリファン界で有名な「荒らし」であり、彼の所業(悪行)は「年間読書人」もしくは「田中幸一 荒らし」で検索すると次から次へと出てきます。くれぐれも餌を与えないよう、ご注意願います。
参考
アマチュア評論家・田中幸一
泣きました! 感動しました!
noteのとある記事によれば開口一番こう書くと「ザンパノに近いくせにジェルソミーナに自分を重ねている偽善者」として認定されるらしい。なので、一番最初にこう書き出さざるを得ない。(マナー上、直リンはしません。"フェリーニ 道 偽善者"でググれば先頭でヒットします。但し、読んで気分が悪くなったとしても責任は持ちませんので悪しからず)
超を付けてもいいくらいの名作映画である。
あえて内容を説明すると長くなるので知らない人はWikiでも読むか、配信などで観てください。AmazonPrimeの見放題では昨年末に一旦終了してしまいましたが数百円お金出してレンタルして観ても後悔はしないと思います。
Youtubeに故・淀川永治氏の今なら放送コード引っかかりそうな解説が出てますが、思い切りあらすじを喋りまくってるのでネタバレされたくない人は見ないようにしましょう。
Wikiによれば当時イタリアで起きたネオリアリズム運動的な作品らしいけど、イタリアに住んだ事のある知人によると当時のイタリア、特に南イタリアはものすごく貧しかったそうで、やはりその辺が背景として描かれているのかな、と思いました。
ただ、登場人物はあまりリアルとは思えないんですね。少々ネタバレになってしまいますが、笑いながら他人を殴る男が、捨ててく女(男と女の話ではない)との別れ際に優しさを見せる、なんてのはまずありえない。DV夫が暴力とたまに見せる優しさで相手を拘束するのとは違う。DV夫は別れさせない為に優しさを見せるが、別れ際にそれはしない。
淀川氏はジェルソミーナをキ〇〇イと言っていたが、今で言えば境界知能の発達障害だろう。「ジュリエッタ・マシーナの知的障害者の演技がすごい」なんて声があるけど、実際に知的障害者のクラスメート(昔は普通学級にいちおう籍があって、教室だけ分けられていた)がいたり、職場の近所に作業所があって時々バスで見かけたり売店で接することのある私からすれば「これぞ知的障害者」なんてステレオタイプなど存在しない。概ねうつむいてたり大人し目ではあるものの、ジェルソミーナみたいな雰囲気の人に出くわしたことなど一度もない。
それでもこれらの登場人物が説得力を持つのは俳優たちの演技力のなせる業だろう。アンソニー・クインの演じる粗野で身勝手な男(ザンパノ)は憎たらしいし、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナには寂しさや哀しみが漂う。
この映画には「知的障害者」も「愚か者」も登場しない。
ザンパノはザンパノであり、ジェルソミーナはジェルソミーナなのだ。
だからこそ観た者は心を震わさせられるし、人物までリアルを追求しすぎたら無味乾燥なものになってしまう。彼らはフェリーニの創作した人物である。
ちなみに私の一番好きなアンソニー・クインの演じた役は「その男ゾルバ」(Zorba the Greek)のゾルバである。まだ観てない人は是非。
私に言わせれば映画なんてのは各人が好きなように観ればいいのである。
そしてたまに思い返したり、何度も観ては見方を変えてみたり、やはり過去の経験とかを通して観る人によって感想が異なるのは当たり前だ。
なので、某記事が書いているように「ザンパノは、私だ!」と感じ続けなければならない、というのはとんだお門違いであり、そもそもフェリーニでも無い奴が「お前たちは間違った鑑賞をしている」なんて指摘してくるのは愚かで厚かましくもおこがましいにも程がある、と断言しておく。
追記
たかが映画観て「泣きました」とも「感動しました」とも言えない世の中って息苦しいと思うんだよね。
ただ、日本の映画でこれらの感想がCMて流れるのは「永遠の0」とか「あの花が、、」とか特攻隊が主役の愛国モノばかりなんだよな。ちょっとヤバい。