「年間読書人」のフェリーニ「道」の㌧でも解釈

こんばんは 糞リプマンです

年間読書人に「犯罪者」認定されている糞リプマンです
たかがnoteのコメント欄で異議を唱えただけで私は彼にとっての「犯罪者」になりましたが、明らかに自分より教養がありそうな相手には読書人氏は随分大人しいです。

私はもともと「人に借りを作るのが嫌」な人間だから、「普通の罪なき人に職質をかけて、時間を取らせる」のが申し訳なくて、嫌なのだ。あきらかに、こいつは「犯罪者」や「悪人」だとわかる相手には、誰よりも前に出て「攻撃」を仕掛けるタイプなのは、その裏返しなのである。

つまり、私がネットで、「ネトウヨ」を目の敵にしたのも、わかりやすい「敵」には容赦しない性格だからであり、文章でも「批判においては、相手を筆で殺すつもりで書いている」などと豪語するのも、ハッキリと「問題点」が見えているという確信があってのことだからなのだ。

リドリー・スコット監督 『ブレードランナー』 :  レプリカント殺しの 警察官|年間読書人

どういう「問題点」がはっきりと見えたのかよくわかりませんがLSDでもやってたのでしょうか。冗談は置いといて、何らかの理由で
「こいつ、気に入らない」
と思われたことは間違いないです。「悪」と決めつければ後は理由を色々つけるだけ。何にしても「結論ありき」の男ですから。

 しかし、こんな奴が2022年の7月まで警察官をしていた事に驚きます。彼は自称左翼ですが生まれてくるのが少し遅かったようです。もう少し早ければヘルメット被ってゲバ棒持って火炎瓶投げられたのに。

さて、表題の記事によればフェリーニの「道」を観て「感動した」とか「泣きました」とか言ってる奴はジェルソミーナに自分を重ねて泣いている偽善者なのだそうです。おそろしいですな。うっかり映画を観て「感動した」とは言えない時代がやってくるのかも知れません。

しかし、この映画は観客の大半はジェルソミーナに自分を重ねるように出来ています。ザンパノと出会って捨てられるまで、映画はずっとジェルソミーナの視点で続いていきます。特にザンパノから逃げて三人の兵隊についていき、祭りに出くわすまではずっと彼女の視点です。ザンパノが「あいつ、逃げやがった」などとジェルソミーナを探すシーンはありません。ザンパノ視点になるのは別れて数年が経ってからの事。

さらに読書人氏はこんな事を書きました。
「ザンパノは後悔の涙を流して生まれ変わった」
何言ってんだコイツ。
映画は単にザンパノが浜辺で泣き崩れて終わります。それだけです。そこにあったのは、主に「寂しさ」ではないかと。「俺は一人だって平気だ」という強がりがそれを滲ませます。
ザンパノは生まれ変わるどころかあのまま波にさらわれて死んだかもしれません。

結局、彼が言いたいのは「ザンパノは私だ」という原罪意識を持ち、彼の都合の良いように「生まれ変われ」という事です。

それって、「洗脳」でしか無いです。
麻原彰晃(松本智津夫)を思い出します。




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