【歴史小説】光より出づる者1-3
アントワーヌ・ラヴォアジエの過去。
五歳の頃、母は妹を産んですぐに亡くなった。パリ高等法院の代訴人だった父は忙しく、新しく妻を娶ることもしなかったので私と妹は祖母の家で育てられることになった。この時代の思い出といえば、暗い部屋で物音も立てずに静かに本のページをめくっているものだ。厳格な信徒だった祖母はしつけに厳しく、うるさく騒ぎようものなら激しい折檻が待っていた。規律を順守することを教え諭すのは母親を亡くした私たちへの彼女なりの愛情だと理解するのは難しくなかったが、自分を無条件に愛し、肯定する存在がいなかったという感覚はその後の人生においてしばし私を苦しめた。人との付き合い方は通り一遍の型通りのもので特定の個人と深く付き合うことはなく、自らの領分を侵されたと感じた時には躍起になってそれを排除しようと試みた。些細なことで周囲と摩擦が生じ、しかもそれを積極的に解決しようとしない態度がさらに誤解を招いたこともあった。結局、私がそうした不確かな人付き合いを円滑する社交術を身につけるよりも、絶対不変の真理を探究する化学に没頭するようになるのも当然の成り行きだった。
階段を降り歩廊を抜け大広間へとたどり着く。幸いにも鍵はかかっていないので周囲を気にしながら少しだけ扉を開く。この大広間は元々修道院の付属礼拝場で、監獄に作り替えられてからはサロンや食堂として囚人貴族たちの社交場の役割を担っていたが、彼らのコンシェルジュリーに送られる数が増えるにしたがってその役目を終えていた。誰に使われるともなくなった大広間は一面に埃が積もっている。開いた隙間に体を滑り込ませて扉を閉じると外界から隔絶されて澱んだ沈黙に包まれる。しばらくその場に立ち尽くしていたが、部屋の奥、雲間から射しこんだ月明りに照らされた祭壇付近を目指して歩いていく。埃とかびの匂いを吸い込みながら、この部屋の在りし日の姿を思う。主任司祭のハープの音。修道女たちの祈祷。彼らは今どこで何をしているのだろう。自分たちが信じ奉ってきた理念を否定されることに何を感じているのだろうか。
かつては私もその流れを作った一人だった。化学者としての知見を買われ、この国で使われる度量衡を統一する作業委員会に参加した。都市ごと、地域ごとに違う長さや重さの単位を統一し、古くから続く不合理な因習から人々を解き放つ。こうして暦の改定と並んで王侯貴族や宗教的権威の支配を物心両面から解放し、理性によって人々が社会を変えていく新しい時代を迎えた。そのはずだった。
実際にはどうだろうか。理性のある人々が公正な手段を用いて選んだはずの国民公会の議員たちは目の前の問題に対処することに追われ、理想の社会を作る努力を怠り、ついには感情の赴くままに人々を捕らえ処刑するようになった。これが皆と作り上げた社会なのだろうか。果たして、私はどんな時代を望んでいたというのだろうか。
祭壇の手前、月明りの届かない光と闇の境に立ちながら、時が経つのを忘れるほどに物思いに耽っていた。光の射す傾きが変化しても、祭壇の上の十字架は変わらずに薄明りの中に佇んでいる。体中の熱が闇に溶け吐く息が透明に変わるほどそれを眺めながら、私は祖母の家で暮らしていたあの頃に戻ったようだった。埃とかびの匂いに包まれて、暗闇と孤独のみが傍にあったあの時代に。
同じように育ち、私の心の裡を理解してくれるはずだった妹も十歳でこの世を去った。その死がもたらした直観、つまり、人が宗教によって救われることがないなら、別の秩序を作り上げるしかないのだと、おぼろげながら悟ったことが私の出発点だった。だが今となっては。
私は初めて心の底から祈ろうと思った。十字架の前にひざまずき、手を組んで目を閉じた。このまま祭壇を照らす光が私の体を包みこみ、心の奥底に残る全てのわだかまりを拭い去って、隅々まで澄み渡らせることを期待した。しかし、その瞬間が訪れることはなかった。月は雲間に隠れ光を弱めていき、壇上の十字架は私に何も感慨を呼び起こすことのないまま闇の中へ戻っていく。
私はため息を一つ吐くと、感覚の失いかかった手足に力をこめ、関節を軋ませながら立ち上がった。そのまま振り返ることなく扉を開け大広間を後にする。私にはまだ信じられるものがある。それはまだ力を失っていないのだと頑ななまでに思いこまなければならなかった。
それから二日後、公安委員会が採択した法案の写しが届けられた。その短い写しには私の度量衡委員の任を解くことが書き記されていた。私は届けられた写しと、出す必要のなくなったアユイへの手紙を暖炉へと投げ入れた。それらが静かな音を立てて灰になっていく様子をいつまでも眺めていた。
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