【歴史小説】光より出づる者1-1

 1789年、フランス。パリ市民のバスティーユ牢獄襲撃を鏑矢として、市民の力を背景とした政治改革が進行する。後の世に、フランス革命と呼ばれるそれは、しかし年を追うごとに流血も辞さない過激な武力闘争へと変貌していく。
 そんな中、フランス宮廷の貴族であり、フランス科学アカデミーの会員でもあったアントワーヌ・ラヴォアジエが公安委員会によって指名手配され、逮捕される。彼はかつて徴税請負人という職に就いており、その経歴が元で牢に繋がれることとなった。


   ポール・リーブル監獄
  『ルネ・ジュスト・アユイ師へ
  あなたとボルダの厚意に感謝します。幸いにも通貨委員会の方々も私の釈放に関する請求を行うつもりだと知らせてくれましたし、モルヴォやフルクロワも各委員会で重職に就いていると聞きます。彼らの働きかけによって私に関する疑念はすぐにでも晴れ、また以前と同様に一緒に仕事ができる日がくるでしょう。
  体調に関してもなんら問題はありません。馬車に乗せられたときはどこに連れていかれるものかと気をもみましたが、ここポール・リーブル監獄というところは元修道院ということもあって居心地も悪くありません。私たちのほかにも全国から逮捕者が連れてこられているので、建物の中が狭く感じるのが唯一の不満でしょうか。
  それでは、次回は度量衡委員会の例会でお会いしましょう。半ば終わりかけの仕事とはいえ、完全に片づけてしまわないようお願いします。自由の身になったときにやることがなくなっていたら残念ですので。
                               敬具』

 暖炉の中で薪が小さな音を立てて爆ぜる。書き終えた手紙を丁寧に折りたたんでマリーに宛てたものと混ざらないよう注意して机にしまう。窓の外では雲が茜色に染まり始め、知らぬ間に時間が経っていることを自覚する。椅子の上から立ち上がり、部屋の中を歩き回りながら体をほぐす。個人用の事務机、書棚、綿の敷き詰められたベッド。暖かな炎が踊る暖炉に大きく採られた明るい窓。共和国の敵と見做され捕えられた貴族たちが送られるパリのポール・リーブル監獄の居房とはこのような場所であった。
 1792年9月21日、王政が廃され翌日には共和国の成立が宣言された。その日を共和暦元年元日と定め、新しく権力を握った者たちはより一層革命を推し進めようとしたが事態はそう簡単に進まなかった。決定的な意思統一機関の欠如からくる無秩序な経済政策は物価の高騰を招き、無軌道な対外政策は諸外国の反発と侵略につながった。成したことといえば聖職者と貴族の身分を否定し特権を取り上げたくらいであったが、それで現実に山積する課題が解決するわけではなかった。
 そうして国民公会の中から急進的な政策を掲げるモンターニュ派が登場した。ダントンやエベール、ロベスピエールらに率いられた彼らは国内の混乱を抑えるために政敵を旧制度に与する者として逮捕、処刑し、その流れの中で私もかつて総括徴税請負人という役職に就いていたことから旧制度側の人間と見做されて獄に繋がれたのだった。
 しばらく部屋を歩き回っていると、マルゼルブを訪ねて出ていたジャック・ポールズが帰ってきた。私と同様に元総括徴税請負人であり、妻のマリーの父、つまり義父に当たる人物だった。ポール・リーブル監獄は囚人同士の行き来が許されており、自由に部屋を出入りすることができた。
「また論文をまとめているのか、アントワーヌ」
 義父が覇気の失った声で尋ねる。ここに連れてこられて以来執筆した論文をまとめる作業に没頭していることに半ば呆れているらしかった。
「違いますよ。ほら。今日は手紙を書いています」
 憂鬱な雰囲気を和らげるように努めて朗らかに手紙を開いて見せたが、義父はそれを興味薄げに一瞥しただけで視線を窓の外に向けた。
「そんなことより、このような場所から出るために皆との話し合いで知恵の一つでも出してくれてはどうなのだ」
 義父はこちらを見ようともせず小さくつぶやいた。仕事先の同僚でもあった彼はもとより鷹揚とは言い難い性格だったが、捕えられてからは更に悲観的になり、鬱々としていることが多くなっていた。
「知恵を出そうにも、私たちができることは多くありませんよ。精々が許しを請うくらいのものでしょう。例えば、私たちの財産を国に差し出して恭順の意を示すのはどうなのでしょう?」
「その案はすでに何度か話題になって、その度に却下されたよ。ありもしない罪を自ら認めるようなものだ、とな」
 ため息混じりに返す義父の顔を見つめる。頬がこけ、無精ひげの生えた肌は薄汚れて見える。生気を失った眼球は義眼めいて落ちくぼんだ眼窩にはまっている。かつてインド会社の役員も務め、王室秘書官にもなった男の姿はなく、そこにはただ現実に翻弄される哀れな老人が立っているだけだった。
 机から離れ、義父の隣に並んで立つ。窓からは修道院であった頃の名残の中庭が見える。手入れする者がいなくなった中庭は雑草が生え植え込みが伸び切っている。木々も一様に枯れ果て、寒風にその身をさらしている。霜月のパリ特有の低く厚く垂れこめた雲は光を遮り、敷地の外を見通すことも許してはくれなかった。
「我々はこれから先どうなるのだろう」
 義父は尋ねるともなくつぶやく。私はそれに答えることができなかった。

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