【歴史小説】光より出づる者1-2

ポール・リーブル監獄は、元はポール・ロワイヤル修道院といい、17世紀の数学者、ブレーズ・パスカルの妹も帰依していた歴史のある修道院であった。フランス革命が起こると公安委員会により接収され、国王の名を関する‟ロワ″を排除し、より革命的な‟リーブル”の名前の与えられ監獄として生まれ変わった。恐怖政治下で濫造された他の監獄とは違い、比較的富裕な貴族が集められ、あたかもサロンのような催しが開かれるなど自由な気風が残され、先の見えない時代から生まれる無聊への一時の慰めを収監者に与えることもあった。


 旧制度下において権力の拡大とともに増大した財政支出を賄うために総括徴税請負という制度が発達した。徴税請負人は前もって国庫に定められた金額を支払い、代わりに税金を徴収する権利を得る。人頭税、地税、十分の一税だけしかなかった頃から始まって、時代が下るにつれて様々に税金を集めるようになった。塩税、酒税、関税、たばこ税、その他雑多な間接税。広く複雑化した租税体系に総括的な対応を行うため組織されたのが、私もかつて就いていた総括徴税請負人という役人たちだった。六年ごとの任期で、そのたびに徴税請負人になるための権利を購入しなければならなかったが、最終的には前払いした以上の収入を得ることができた。中には数世代に渡って権利を保持し、各地で過酷な税を取り立てていた事例もあり、そういった者たちの乱行によって徴税請負人の評判は盗賊と並び称されるほど悪かった。
 もちろん私もその悪評を知らないで徴税請負人の職に就いたわけではなかった。富裕とは縁遠く、先祖代々少しずつ積み上げてきた遺産を効率的に運用して得意な化学の分野で生計を立てるためにも安定した収入が必要だった、当時はただそれだけだった。それに、私が徴税請負人の職に就いた頃には彼らが不当に重い税を課していた事実はなかった。たいていの者が市民たちからの評判を気にしていたし、そもそも私腹を肥やしていられるほど国家財政に余裕があるわけではなかった。徴税請負人たちの多くは国家を支える財務官僚の一員として財政を立て直すために常に心を砕いていた。それは王政が倒れた後も変わらなかったし、こうして投獄された今も同じ気持ちを持ち続けているはずだった。

 夕食後、看守の点呼が終わってから逮捕された徴税請負人たちが私の部屋に集まってきた。あてがわれた部屋の中でも特に大きく、また特別に暖炉も設置してあるので会合で使われるのが常だった。
「今日は皆に伝えなければならないことがある」
 とドラアントが切り出す。彼は代々徴税請負人を生業としてきた家系の出で、最終的な身分は補佐役止まりだったが、仕事が早く的確なので周囲からまとめ役を期待され外部との交渉を担当していた。
「まずは先日国民公会に提出した、徴税請負人事務所へ行くことへの許しを請うことについてだが、それが了承される運びとなった。時期や人数は未定だが、近いうちに事務所で仕事ができるようになるだろう」
 こうして会合を重ねるうちにわかってきたことが、私たち徴税請負人が逮捕されたのは事務所の解散に際しての清算書の提出の遅れ、というものだった。王政を倒し権力を握った国民公会によって職を失っていた徴税請負人たちは、その時点までの国家に対する借入、または貸付の清算書を作成すべしと定められていた。ところが国家財政というあまりにも広範な財務諸表を検討しなければならず、政局の混乱も手伝って清算書の作成は遅々として進まなかった。これが前々から徴税請負人を目に敵にしていた市民の敵対感情をあおり、国民公会の議員であるデュパンを中心に清算書の提出の遅れは共和国への敵対行為である――という流れで逮捕されたようだった。
 逮捕された私たちには清算書の提出が義務付けられていた。とはいえ資料も何もないポール・リーブル監獄では清算書の作成は不可能なので、事務所に通わせてほしいという要望をドラアントが出していた。その願いが叶ったというのが最近の中では一番の朗報であった。
「もちろんこれは、清算書を提出しない限り国民公会が私たち徴税請負人を国家の敵とみなしている証でもある。デュパンら議員たちに正しく理解してもらうためにも、ここにいる全員の力をもってして正確な清算書を作成しなくてはならない。大変な仕事になるだろうが、その時が来たら心して臨んでほしいと思う」
 ドラアントが震える手で目の前に置いてあったコップから水を飲んだ。そのわずかな静寂に卓を囲む一同の間に期待に満ちた決意が広がっていく。それは私も例外ではなかった。逮捕されて一ヶ月、外部から遮断されて取ることのできる手段は限られていた。わずかに手に入る情報は事態の悪化を知らせるものばかりであれば希望を見出すことは難しかった。しかし、希望への道筋は指し示された。その道を一歩ずつ進んでいけば釈放も遠くはないだろう。
 さすがドラアントだ、と誰かがささやく声が聞こえる。世情に明るいドラアントに交渉を任せたのは正解だった。頼りになる男だ、とこの場にいる誰もが思っていた。良かった、これで一安心だ、と。だが次に出てきた言葉は浮かれた場の空気に水を差した。
「そしてもう一つ国民公会から申し渡されたことに、私たち徴税請負人の財産が差し押さえられることが決まった。当分の間、少なくとも清算書が提出されるまでの間家人が家を出入りすることもできなくなるそうだ」
 ドラアントは沈痛な面持ちで告げた。うつむきがちに席に座り、乾いた唇を湿らすようにまた水を含む。わずかな希望を示された直後に一転して絶望の淵に立たされた私たちは凍り付いたように沈黙した。財産を差し押さえるなどまるで罪が確定したかのような扱いだった。
「だから言ったのだ!」
 隅で色を失っていた若者がはじかれたように立ち上がった。
「国民公会に全財産を差し出して許しを請おうと、何度も提案したではないか! こうなってしまっては意味がない!」
「落ち着かぬか」
「落ち着いてなどいられるか!」
 ポールズの制止する言葉も聞かず若者は怒鳴り散らす。
「結局はこうだ! こうなるのだ! 奴らは、国民公会は、国王の手先であった我らを憎んでいる! 理屈ではなく感情で動いているのだ! 感情の赴くままに我らに復讐を行おうとしている! 清算書を提出したとしてそれは変わらない決定事項なのだ!」
「決定事項かどうかはわかるはずもなかろう」
「席につかぬか」
 ポールズや他の者たちがうんざりしたように声をかけても止まらず、なおも叫び続ける。
「そもそも、市民たちの我らに対する感情がここまで悪化したのはなぜだ! それは財務次官モリアンと共にパリ市外に壁を築き関税を巻き上げようとした者がいたからだ! それによって物流は滞り課された税によって物価は上昇した! この愚かな行為に対する反発が強まった結果が我らの逮捕だ! これが彼らの復讐ではないとどうして断言できようか!」
「巻き上げる? 愚かな行為だと? それが国家のために真っ当に働いた同僚への言葉か? 赤字続きの財政をどうにかしようと考えた結果が密輸に対する市壁の強化が最善であると採用されたのだ」
「そもそもそれが間違いなのだ! 国家財政の破綻の咎を責められるべきは国王やその側近たちであって我らではない! 我らはただ粛々と税金を集めていればよかったのだ!」
「その集める手段として関所を築いたのではないか! パリは巨大だ! 中世からの城門は役に立たず、密輸入が横行し、正しい手順を踏んで税を払う商人が泣きを見る! 公正を期し、正しい道理の下で、正当に税を徴収していた! これのどこに間違いがあったというのだ!」
「我らの行いに正しさなど求められていない! 我らは税を集める、ただそれだけの組織、それだけの存在だ! 人間的な判断などそこに求められていないし、持とうともしてはいけなかったのだ!」
 座の一同を巻き込んだ激しい言葉の応酬が始まった。当初は感情に任せて口から出るままの若者の言葉に辟易していた周りも、次第に同調して声を上げ議論に参加し始めていた。彼らの言葉に反駁するのは多くはポールズのような年配の者たちだったが、若者たちの勢いに押されるように口数を減らしていた。
 私はといえば、椅子の上で磔にされたように固まって動けずにいた。そもそも、パリ市外に壁を築くようモリアンに提言したのも私が主導したものだ。若者たちの言葉に反駁する義務が私にはあった。だが私は口を出せなかった。彼らの言葉に臆したのでもなければ、彼らに伝えるべき言葉を持ち合わせていないでもなかった。私は国家のために私欲を捨てて仕事に向き合ってきた。程度の差こそあれ彼らも同様であるはずだったが、その内面は想像していたものよりはるかに温度差のあるものだった。だがそれ以上に、彼らの中の一人が発した復讐という言葉に囚われていた。革命によってあらゆる旧弊を排し、法と理性の行き届いた国家を作ろうとした人々が復讐という感情に突き動かされてはならなかった。それではただ一人の意思によって国家の大事が決められてきた革命前の姿と変わらないし、革命に協力してきた人々の献身が無駄になってしまう。
 だから、彼らの言葉に対してそんなことはない、今の国民公会の議員たちがそんな愚かなことをするはずがないと言い張るのは簡単だった。それでも声を上げられなかったのは、心のどこかで彼らの言葉に納得する自分がいたからだ。清算書の提出など政治的に大きな課題ではないのに殊更に取り上げて逮捕の口実にするなど不可解ではあったが、何のことはない、全て市民たちの復讐という感情に起因しているのだ。私たち徴税請負人に落ち度はなく、国民公会の議員たちは王政を倒した当初の理念を忘れ、ただ理性をなくした蒙昧な獣の群れと化したと理解すれば、これほど明快なことはなかった。

「皆の意見はよくわかった。どうにかして私も手を尽くしてみたいと思う」
 喧噪の間を縫って部屋に響いたドラアントの声で現実に引き戻される。
「各々語りつくせないことも多々あるとは思うが、今日のところはここで解散するとしよう。また明日」
 ドラアントが不毛な議論を無理やり終わらせる。興奮した者たちは帰ろうとせず議論を続けようとする気配を見せていたが、年長の者たちが早々にいなくなると諦めたように席を立ち始めた。
「大丈夫か?」
 会合で使われた机や椅子を端に寄せているとポールズに問われる。心配する声色がないのは先ほどの議論で何もしゃべらないままだったので訝しんでいるのだろう。かすれた声で曖昧に濁し、作業を終える。その足で義父に少し外を歩いてきます、と告げる。沸騰した議論の熱に中てられたか、暖炉の火が強すぎるのか、少し頭がぼんやりとするのを感じて外の空気を吸いたくなった。
「もう消灯だぞ? 看守に見つかるなよ」
「ええ、わかっています。すぐに戻りますので」と軽く言い置いて部屋を出る。
 実際には看守が見回りに来ることはほとんどなかった。部屋の扉には閂もなければ錠もかけられておらず、出入りも囚人たちの自由にさせていたので名ばかりの監獄を笑う者もいた。とはいえ、囚人の身分ではお互いの部屋を行き来する以外に行ける場所は限られているので、自然と足は大広間に向いた。石造りの暗く長い廊下は日当たりが悪く、どことなく埃とかびの匂いが漂い、それは幼少期を過ごした祖母の家を想起させた。


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