week daily 2024.11.22〜28
11.22.金 晴れ、身を切る冷たさとともに
白米、納豆、味噌汁と超絶健康な朝ご飯(PM13:00)を食べて出勤。本日もなにごともなく。帰ってきてから速攻でパソコンを開いて新聞社行きの原稿を書いた。昨日まで書いていたものがなんとなくしっくりこなくて、10ページまで進んでいたけれどごっそり没にして新しく書き始めることにする。むかしの記憶を掘り起こして、私の心は琴の海にたゆたっている。明日はまちなかの日。昨日見学した演劇の本番。これは見に行かねばと思う反面、普段自分が早起きする時間に開幕なので起きれるかどうか。移動にも一時間くらいかかるし、夕方から時津で用事もあるし。
本を作りたい、絵も描きたいし、演劇も、朗読もしたい。かといってちゃんと休みたいし家族と過ごす時間も欲しい。やりたいことが、たくさん、たくさん、たくさんあるのに時間は有限でやるせない気持ち。本当はもっと違うことをたくさんしたいのだ。
11.23.土 晴れ、木枯らしが吹く
起きたら13時だった。母から「ナベが安くなってるよ! 写真撮り忘れたけど」とLINEがきていて「中くらいの青色のやつ買って」と返信。今年は鍋だ。何がなんでも鍋をする。実家に取りに帰ったら鯵に連絡をしよう。おい、鍋するぞ。
だらだらと布団に潜ったまま読みかけの本を読む。『躁鬱大学』と『注文の多い注文書』を読み終わって、インスタに感想を上げる。何十年後に読み返したくなる本を見つけるってすごいことなのかもしれないと少し思う。
11.24.日 晴れ、本格的に冬
昨夜10時まで職場の後輩たちと焼肉。車の助手席に乗せてもらいながら、やっぱり車運転できたらなぁとしみじみ思う。ペーパー6年目だし、自動車なんて贅沢品は買えないし、せめて手取り20万あればなぁ。
焼肉の店舗に赴いたら待ち時間1時間弱だったので隣のコメダ珈琲で時間を潰していざ入店。やっぱり最初はカルビだよね、とドカドカと注文する。周りの卓からお肉が乱舞する香ばしい匂いがしてきて到着までぐーぐーお腹を鳴らしていた。焦げるまで焼いたカルビたちは油まで美味しくてご飯を2杯もおかわりする。どうして焼肉の時のお米はこんなにもおいしいんだろう。お肉を腹八分に抑えて、最後はわかめスープで締めて、いい感じ。我々夜勤人間は日付超えてからが本番なのでそのままカラオケに直行。米津玄師縛りで歌うなどした。午前3時に帰宅、11時に起きて出勤。五木寛之『大河の一滴』を読む。
11.25.月 晴れ
起きて30分くらい原稿をして出勤。お金が無いので最近はお昼(18:00)抜きかクリーム玄米ブランを食べている。ずっとお腹が空いているけれど、クリーム玄米ブランが低血糖を起こさないようにしてくれているので楽。もっと自分に使えるお金が増えればいいのになぁと思いつつ、私の能力じゃ嫌なことを頑張るようにできないので仕方がない。本を読んで、のんべんだらりと一人で静かに生きるだけでたいへんよい。
出張から帰ってきた社員の方がお土産をたくさん買ってきてくれた。みんなでドーナツの争奪戦をして証拠隠滅を図る。
11.26.火 雨、頭痛の気配を孕んだまま
来月もよろしくお願いします、と家賃を振り込む。今のくうねるところにすむところに越してきてから1年が経った。何も無ければ快適で、病気でのたうち回っている時はたいへんで、いろんなことを考えながらなんとなく自活してきた。この1年で自分の考え方、物事の捉え方が変わった気がする。大半は京極堂シリーズのおかげ。
鯵から返信。この人は手先が器用というか、創造力が人一倍というか、モノに執着するおかげでモノを創るのがたいへん上手い。何年も前に出会ってから鯵のような人間になりたいと自分の内面を掻き回しているおかげで少しは他人に対して寛容になれたと思っている。幸運なことに私の周りは尊敬できる人間で溢れている。昔から、友人知人には恵まれているのだ。目標や理想になる彼らが、誘えば会ってくれる距離にいる。所作をひっそり真似してみたり、考え方をこっそりインプットしてみたり。私も彼らのような素敵な人物になりたい。
11.27.水 雨、胡乱なるまぶた
朝方(9:00)に起きてうつらうつらと『大河の一滴』を読み進める。自分が死ぬ間際とか、何か死を予感する病気になったりした頃にもう一度読み返したい。最近、晩年になって読みたい本が次々に見つかる。
外は冷蔵庫だった。これ以上下がるんですかやめてください助けて……と思いながら出勤。昨日も寒かったけれど、今日がまた一段と寒い。気温はあまり変わらないはずだけど、やっぱり雨量の違いかな。
久々にマックにしてみる。ポテトが食べたかったので、350円のLサイズを頼んだ。多かった。相変わらずクリーム玄米ブラン(ブルーベリー味信者)もお腹に入れて、仕事の後半戦。久々の四勤、長かった。
┈旨かった鍋メモ┈┈┈┈┈┈┈┈┈
《材料》
・白菜1/4
・豚バラ250g
・水600ml
・砂糖小1/2
・にんにくチューブ小1
・白だし大3
・塩コショウお好みで
全部ぶち込んで煮立って火が通ったら完成
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11.28.木 雨、この世は冷凍庫へ
朝9時に無理やり起きて、母へ連絡。母が買い物に出ると言うのでついて行くことにしたのだけれど、午前中に起きるのは骨が折れる。母が走らせる車で少し遠くのスーパーへ。《2024年のやりたいことリスト》に「雨の日にホットケーキを作る」と書いたことを思い出して、並んでた中で一番高いパンケーキの材料を買った。
夜、みぞれのような雨がカタカタと窓を鳴らす。風が強い、雷も鳴る。今日は泊まるべ、と家族に知らせると「原稿も終わったことだしね」と言われた。「原稿あるよ」「次は何ね」「かくかくしかじかで新聞社の公募が」と、一番良かったら賞金が出る話をしたら実家を追い出されるように帰ることになった。書き上げなさい、そして出しなさい、確率はゼロじゃないんだから、と私よりも母や妹のほうがやる気である。諦めていたけれどとりあえず、書くだけ書いてみようと思った。
┈読書記録(Instagram同文)┈┈┈┈┈┈┈┈┈
『注文の多い注文書』
小川洋子 クラフト・エヴィング商會/ちくま文庫
小川洋子さんが注文して、クラフト・エヴィング商會が納品して成る本。
ないものあります、が謳い文句のクラフト・エヴィング商會には物語に登場する〈この世にないもの〉も探し出してくる。
この中で注文された「バナナフィッシュの耳石」に惹かれて読み出したのだけど、サリンジャーが沈黙をした驚くべき理由や、サリンジャーを愛する者たちの思いが染みて、もう一度『ナイン・ストーリーズ』を読み返そうと思った。バナナフィッシュの耳石のことを考えながら読む『ナイン・ストーリーズ』は結構面白いに違いない。
もし私がクラフト・エヴィング商會に注文するとしたら何を頼むのだろう。「ない」ものもあると言われたら戸惑ってしまう。ずっと昔になくしたモノや、声を忘れてしまったあの人とか、夢で会った異国の青年とか、気になるものはたくさんあるけれど。
忘れてしまっているほうが正しいのかもしれない。
「ない」ものをほしくなるのはもっとずっと後になってからだろうと思う。『モナ・リザの背中』を50歳になって読もうと思ったように、『注文の多い注文書』も何十年か後になって読み返したい。
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『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのはあなただけではありません』坂口恭平/新潮文庫
昔から気塞ぎだったものの昔は一晩寝ればケロリとしていたから、長いこと眠るだけでどうにかなっていた。けれど高校に通いだしてから寝ても寝ても気分は上がらないし周りのことなんかどうでもよかったし、自分の将来もどうでもよいと思ったり、社会人になってからはさらにメメント・モリ的生活に侵食されて、今に至る。気分は絶好調、イベントの締切は守れたし、予定は来年まで埋まっているし、休みなんてないけれど全てが順調に進んでる──そんなときに仕事でミスをする。今しがたまでわくわくの未来を考えていたはずなのに「こんなミスをするなんて死んだほうがいい、生きることに向いていない、それにお金も無いし仕事は多すぎるしめんどくさいし、ああもうめんどうだから死んで全部を終わりにしたい」と考える。それから5日は引きずって、LINEも返せないし電話にも出れないし本も読めない。それがある時ふと「悩んでるのが馬鹿らしい!」と一念発起して、ようやく日常が戻る。そのたった5日間の鬱的な症状はほんの些細なことから引き起こる。あの人から挨拶が返ってこなかった、あの人の機嫌が悪くて怖かった、全部私のせいだ、何かは分からないけど私の何かが悪いらしい、私が生きているからこうなるんだ死んじまえ──となる。こんな性格の脳みそを漂白剤で丸洗いしたいとよく思う。
躁鬱かどうかは分からない。部分的に鬱的な何かがくるだけで躁状態で爆発的な何かをしたり暴れたり怒ったりすることもない。普段から冷静沈着を心掛けているから、個人的には「沈」の部分が誇張される日が時々あるのだと思っている。
躁鬱人でも非躁鬱人でもない私にも『躁鬱大学』は心の指針になったように思う。気分の波はそういう体質です、と言われただけで息が吸いやすくなった。
ここには心の闇に向き合う術が書かれている。自己否定と希死念慮は鬱状態のテンプレートでみんなが思うことで何も特別なものじゃない。死にたい、と思っても良いのだ。そうして塞ぎ込んで布団に包まるのは悪いことじゃない。頭痛がくれば寝る、腹痛も寝る、そんなのと同じなのだ。そんな自分の「体質」に気づけた良いキッカケだった。私にとって暇=鬱への道でもあるので、適当に息継ぎしながらのんべんだらりと毎日活動していようと思う。
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ZINE作品
『ことばあそび集 わたしの愛は一方通行』入元恩
私は入元さんが好きだ。柔らかいほほえみと、身軽に見える物腰と、孕んでいるものをベールに包める頑丈さと。会うたびに「入元さんのようになれたらなぁ」と心密かに思っている。
入元さんの文学フリマ参加作品を、訳あって一足先にお迎えできたのが本作。ことばあそび、というようにとりとめのない言葉たちが並んでいるように思うのだけど、それは《心》を言語化しているからなのだ。言葉にできないものを言葉として出力している。だから入元さんの言葉たちは頭ではなくて心の、それも無意識の奥のほうにじんわりと響く。
心で読む文学。そういうジャンルを作れてしまうほどに入元さんのことばあそびは美しく綺麗で繊細で、やっぱり不思議に満ちている。言葉の抽象画、とも呼びたい。