SS作品/夜から鬼が出てきて、それで

 眠れないので天井を眺めていると、薄ぼんやりと何か人の形をしたものが動いた。それは少しずつ輪郭がはっきりしてきて、ああ、鬼だと気がついた頃には目が合って数秒が経っていた。鬼だと思ったのは額に角が二本生えていたからだ。角があれば鬼、教科書にも載っている。
 先に折れたのは鬼の方で、恐る恐る視線を動かしてはまた俺と目を合わせるという奇行を繰り返していた。それから、おい人間、と気まずそうに呟いた。
「見えてるのか見えてないのかハッキリしろ」
「見えてるよ」
「うわっ、しゃべった!」
 鬼は天井の隅まで身を引いた。空中浮遊が出来るのか、と俺は新たな知見を得る。しかし目の前のコイツが鬼で空中浮遊ができるからと言って、俺の不眠を治してくれる訳でも無い。
 いや待てよ、と俺は頭の中の妖怪図鑑のページを開いた。鬼とは元々、天災や病のことを指していたのでは無かったか、だとすればこの不眠症は、この鬼のせいになるのではないか。
 鬼を殺せば安眠ができるのでは無いか。
「待て待て待てやい! 出会い頭に早合点で殺されちゃあ敵わねぇよ兄ちゃん!」
と、俺の心を読んだふうに鬼が慌てて両手を振る。
 これだから人間は、と呟いた声が聞こえ、俺はまたページを捲った。たしか、山にいる山鬼というやつが人間の心を読むタイプの鬼じゃなかったか。
「物知りだねぇ兄ちゃん、そうさ、俺ァ山鬼だ」
 だから兄ちゃんの病気治したりは出来ねぇよ、と天井から降りて俺の横に正座した。鬼にも特性があるらしい。
 鬼はそのまま俺の横で胡座に座り直し、眠らねぇのは困ったなと眉間に皺を寄せた。
「ここは百鬼夜行の通り道なもんで、下っ端の俺ァ偵察に来ただけなんだよな」
 このアパートは山を崩して建てられたのだという。俺が産まれる前に建てられたアパートなんだが、と呟くと妖怪達は数百年単位で生きてんだよォ、百鬼となると移動も急には変えらんねぇ、車と一緒だ、と返ってきた。
 山鬼はハッとして玄関口を見た。どうやら夜行のお出ましらしい。
「仕方ねぇ兄ちゃん、何があっても動いちゃなんねぇぞ。常世に連れていかれたら人間には戻れなくなるからな」
 要は寝たフリしろってことだろ。
「どうしてお前はそう良くしてくれるんだ、山鬼は人間が嫌いなんじゃないのか」
 目を閉じたまま尋ねると、だからだよぅ! と返された。
「兄ちゃんみてぇに寝れずに目え開けて迷い込んだ人間が常世に溢れ返ってるんだ、終いにはのるま? やらぷれぜん? やらが無い、食い物食ったらヨモツヘグイで帰れなくなるぜと教えてやったら今度は美味い美味いと常世に居座ろうとしてやがんだよ! 迷惑ったらありゃしねぇ!」
 俺は思い返した、これまでの日々を。サビ残、営業、クレーム、出張。気がついたら二十代が終わっていた上に、彼女の一人も出来たことないし、彼女がいたとしても遊べる休みも無い。
 じゃあな、あばよ、と鬼太郎の鼠男のごとく玄関をするりと通って行った山鬼の後を凝視し、俺は百鬼夜行を今か今かと待ち侘びた。
 しばらくして、扉の向こうからぴーひょろろと篠笛が聴こえてきた。確か、向こうのものを食えばこっちには帰ってこなくても良いんだったよな?

end.

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