憧れの人はずっと遠くにいる
ネタバレ注意!劇場版鬼滅の刃
「悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に 分厚い壁があるんだ すごい人はもっとずっと先のところで戦っているのに 俺はまだそこに行けない」
このセリフ聞き覚えがある人も大勢いるだろう。
先日遅ばせながら、鬼滅の刃の映画を観てきた。
その中で、一番印象に残った炭治郎のこの言葉。
このセリフを聞いた時、なんか自分の心につっかえてたものがなんの準備もなく外れて
激流が流れたかのような衝撃を受けた
この言葉って、なんか他人事に思えなくて、自分と自然と重ねた人も多くいるんじゃないかな。
私自身、ずっとこのことに苦しめられているような気がしてる
看護師としても、一人の人間としても女としても。
20代ってどういう年なのかなって考えたとき
自由に遊べる、責任が少ない、若い、、、
そんなプラスな言葉が浮かんでくるが、
その反面全部未熟であるということを痛感する。
社会人としてもまだ私は3年目で、日々できることは増えているが先輩の思考や判断能力を目の当たりにすると、自分がミジンコのように思えてくる。
先輩方がいる場所が遠く感じすぎて、自分が10年後20年後同じ土俵に立てている想像がつかない。
やっぱり自分では勉強していたつもりでも、失敗は多くて
他の先輩ならどうしていただろうか、、、
とか考えていると自分に足りないものがありすぎて嫌になる。
人間としてもそうだ。
生活するうえでメンタルに圧倒的余裕が足りない。
自分の理想はあるのに、なかなかそこまでかっこいい人間になれない。
生理がきたり、疲れがたまると彼にあたるときはあたるし、それで喧嘩になったりもする。
看護師という仕事をしている以上、変則勤務で昼夜逆転は当たり前なので、生活リズムなんて一旦崩れたら戻すのが大変。
そうなると自分で決めた自分を大切にするためにやるべきこともできなくて自己嫌悪に陥る。
もっとしっかりしたいのに、大人になりたいのに
努力している人は毎日しているのに
前に進んでいる人は鍛錬し続けて毎日着実にすすんでいて
自分をピカピカに磨いているのに
私は歯車が一度合わなくあると歩みを止めなくてはいけない。
進む気持ちになれなくなる
でも、こんなこと悩んでたってしょうがない。
やりたくないときはやりたくないし、やれないときはやれない。
でも、確実に一歩一歩成長している。
昨日の自分とは変わらなくても、1週間前の自分より前に進んでいるし
1年前の自分とは自分を大切にする気持ちも、気持ちの強さも、
自分のなりたい像へ1mmずつでも近づいている
今はできない分できるときにやってあげればいい。
こうやって悩んだ分結果はついてくるだろうし、
ついてくるような行動はどうやったらできるのか、行動を見直し修正するいい機会にもなる。
今は何においてもまだ引っ張ってもらっている立場。
いいじゃない、今はそんな人生の先輩方の姿をみて、いっぱい吸収しよう。
吸収したものは、こうやって考えている分、財産になっている。
今は準備をしている期間なんだよ。
そして、守るものができたとき、教える立場になったときに今の気持ちを思い出して、やさしい気持ちで手を差し伸べられる余裕のある大人になれたらいいな。
今回の投稿は、なんか最近生活の歯車が合わなくて、失敗も自己嫌悪も多くて苦しくて、心の整理をしつつ自分へのメッセージも込めて時間をかけて悩みながら書きました。
私は少しすっきりしたというか、書いているうちに前向きな思考に方向転換ができましたが、みなさんの心の支えには少しでもなったでしょうか。
こうやって、苦しいことを皆さんと共有できる場があってうれしいな。
もし社会人なりたてとか、自分の未熟さに苦しんでいる人がいたらコメントくれるとうれしいです。
一緒に前向きな気持ちになれたらいいな。
めろでした!!
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