話すのが苦手な人が講師になるとき#4 パフォーマンス練習
2022年に数回オンライン講師をやることが決まり、呼吸と発声のトレーニングを続けてきた。もうひとつ必須なのがパフォーマンス練習である。つまり、話を完全に再現できるようになってから、本番で画面の向こう側の受講者に届ける必要があるのだ。
4年ほど前に、対面で講師をした。そのときは全体の流れを箇条書きにした原稿を作り、予定時間を書き込んだ。ここで何分、あそこで何分と入れておき、当日受講者の顔と様子を見ながら、適宜追加したり削除したりしていけばよかった。
120分、2時間の講義に対して資料作成に60時間、パフォーマンスは40時間ほど練習した。だが本番は練習とは違うことばかり起こる。それに対処するには、40時間の練習時間では足りないことがわかった。ただ話せればよいのではない。本番は相当の余裕をもって迎えなければならないのだと、このとき骨身にしみた。
今回の講師業は対面ではなくオンラインだ。受講者の様子がわからないので、当日話しながら調整することはできない。すべて自分で「ここは説明が必要だろう」と予測し、準備しておくしかない。加えて、リアル講義なら講師が紙のアンチョコを時々見てもあまり違和感はないが、オンラインではカメラと別の方向を見ていると不自然で、受講者にも失礼である(と、わたし自身が感じる)。
わたしはモニターを2台使っている。1台はメイン画面として受講者用に全画面表示でファイル共有する。もう1台はサブ画面として、自分だけが見てアンチョコに使うことができる。パワーポイントのノート部分にナレーション原稿を書き、それをサブ画面に出しておくということだ。時々それを見て話せば問題ないだろう……と思っていた、最初は。
だが、1月と5月に2回経験してそうではないことがわかった。練習のときはモニター2台にそれぞれ1つのファイルを表示させているだけである。つまりナレーション原稿の入っているサブ画面のパワーポイントファイルは、マウスの中央ボタンですっすっと送っていけば音も出なくてよい。だが当日はチャットで質問も入るし、参加者名が表示される画面もある。トータルで4つのウィンドウが開いているため、メイン画面で講義ファイルのページをリモコンで送る、という以外の操作をするのは厳しい。アンチョコのファイルをアクティブにするという手間がかかるのだ。ワンクリックとはいえ、顔の近くのマイクは手元のクリック音も拾ってしまう。カチャッという音もたまになら許せるだろうが、わたしの講座は90分でスライドを150枚ほど使うので、いちいちクリックしていては音がうるさくて受講生が集中できない。
となると、やはり原稿をほぼ暗記しなければならない。講義は2022年12月に90分、2023年1月はさらに長くなり120分である。120分講義では休憩と質疑応答に15分とって、原稿を暗記するのは105分だ。だが相当に長い。自分にこんなことができるのか。なぜ引き受けてしまったのか。どうしよう……。
そこで、中学生まで習っていたピアノの練習を思い出した。発表会では曲を暗譜する。そのために、本番の1か月前からは毎日「通し練習」をするのだ。これで手が覚えてくれる。
さらにわたしは大学生時代、マジックのサークルに入っていた。発表会の練習は個人練習もあるが、やはり1か月くらい前からは毎日「通し練習」をする。最初から最後まで2時間ないし3時間かかるステージを、裏方進行を含めてオープニングからエンディングまで全員の演技をとおす。つまり、裏方をやりながら流れに添って自分も演者として舞台に立ち、演技を成功させなければならない。これが相当なプレッシャーだった。
そう、わたしはピアノでもマジックでもステージに立っていたのだ。舞台に上がった経験は20回ほどで、決して多くはないが未経験ではない。同じようにやろう。つまり「原稿を見ないですらすらと話せるようになるまで」練習すればよいのだ。
というわけで、今回も講義に向けて1か月前から毎日「通し練習」をすることにした。スライドを操作しながら原稿をなるべく見ないで話す。当該スライドを見た途端に話すことを思い出せればよさそうなものだが、実際にやってみると、当該スライドの1枚前に「次に話すこと」が準備されていないとうまくいかない。
とくに105分間分の原稿を暗記する目的の通し練習は、脳が一番働く時間帯である起床直後にしかできない。毎朝、起きてすぐマイクに向かうのだが、「話す」仕事がこれほどたいへんだと思ったことはなかった。失礼なことに、アナウンサーという職業の人たちをあまり尊敬したことがなかったのだが、こうなってみると「本当にすごいなぁ」と思うのである。
実際に毎日通し練習をして、10日間を超える頃には多少慣れてきた。すると、その日の仕事のことなどをつい考える。調子の悪い日ほどパフォーマンスに集中できず、こうなってしまう。どうしよう……。
いや、それでも、集中できなくても仕方ない。とにかく毎日「通し練習」をすること。これだけを自分自身に課した。元日も、他の仕事はしなかったがこれだけはこなした。
そうして迎えた3週間後の当日。本番では、やっぱり練習したようには話せなかった。ここはゆっくり、ここは明るく、ここはさらっと。練習では何十回やってもできたのに、どうしてもその通り話せない。やはり本番は、練習とは全然違うのである。
視聴してくれた中には友人もいた。2022年1月、5月、12月、そして2023年1月と、4回わたしの講義を聞いてくれたことになる。自分では「だいぶよくなったでしょ?」と思ったにもかかわらず、「話がうまくなった」とは言ってくれなかった。つまり、進歩が感じられるほどではなかったということだ。自分にとってはつらい練習を重ねたけれど、まだまだ足りていなかったのだとしみじみ感じた。
最後に、パフォーマンスの観点から、発声練習以外に毎日やったトレーニングを書いておく。口がよく開くようになるので、講師業をやることになった人にはぜひお勧めしたい。
●顔筋トレーニング:顔をくしゃっとゆがめて5秒静止、次に目をかっと見開いて口も可能な限り開いて5秒静止。これを1セットとして5セット
●笑顔体操:目尻を下げて鼻の下を伸ばし、口角を上げて5秒静止。これを5セット
●タコの口:口をタコ(ひょっとこ)のようにして右回り、左回り10回ずつ
●舌の体操:歯茎に沿って舌を上下にぐるぐると回す。右と左を最初は5回ずつ、慣れてきたら7回
このトレーニングは、1月の講座が終った今も毎日続けている。今年はおそらく夏にまた講師をすることになるが、そのときまでにもう少しうまくなっておきたいのである。