子ども時代の自分を手助けしにいく
熱帯魚が好きだった。なかでもエンゼルフィッシュ。正方形を斜めに傾けたような形が子どもにとっては不思議でたまらなかった。水族館に連れていってもらった記憶はない。たぶん、近場にはなかったのだろう。エンゼルフィッシュを図鑑で見てから、夢中になって絵に描いたり工作をしていた。
先日、昔の愛読書が出てきた。「子どものための世界の物語」といったものではない。子どものいる家庭向けに作られた、工作と手芸の小冊子だ。書店で売っている本ではなく、埼玉りそな銀行が埼玉銀行、略してサイギンといっていた頃、顧客に配ったものらしい。『サイギン くらしの百科 1 みんなで作りましょう」と黄色い表紙にある。表紙も中身も半世紀近くの時を経てぼろぼろになってはいるが、文字ははっきりと読める。
小学校低学年時代、この小さな本に載っているいろんなものを作りたかった。当時の筆跡でところどころに書き込みもある。工作が大好きだったが器用ではなかったので、母にせがんで作ってもらった。マッチ箱と千代紙で作る箪笥などはよく覚えている。
今この冊子を開くと、とても作ってみたい作品がひとつあった。紙テープで編む熱帯魚である。紙面には、白黒写真で仕上がりが載っている。これが、だいすきだったエンゼルフィッシュの形なのだ。だから昔、母に頼んで作ってもらった。
洋裁をする母は多少の手芸はたしなんだが、工作はあまり上手くなかったのだろう。写真の通りにはできなかったような気がする。
心理学の用語に「ツァイガルニク効果」というのがある。「人は完成・達成した物事よりも、未完成・達成していない物事に興味を引かれる」というものだ。50年近く経った今でも、紙テープの熱帯魚のページに目が留まり、強く「作りたい」と思ったのはそのためだろう。
よし、作ってみよう。100円ショップで紙テープを求め、本の手順通りにテープを切る。「ちがう色で1本ずつ(のテープを使う)」という子どもの自分の書き込みを注意書きとして編んでいった。
思ったよりずっと難しい。「紙テープを市松に組んでいく」と1行の手順しか記されていないが、表と裏がどちらも市松になるように2本の紙テープを編むのは手先と脳をフルに使う。見た目よりずっと難しい。それでもなんとか仕上げたが、手順通りにやったつもりなのにうまくエンゼルフィッシュの形にならない。ああ、母が失敗したのもこうだったのかもしれない。昔のこうした本は、懇切丁寧な現代の「作り方説明」ほど、誰にでもわかるように手順を説明してくれてはいないのだ。
失敗の原因はわかった。紙テープを新しく切り直して改めてチャレンジしたが、セカンドテイクも失敗だった。最初のと2匹目、合計1時間半かかったがかなわず、この日はここまで。
昨日、「もう1回やってみよう」とチャレンジした。今度は「経験」がある。紙面に記されていない事項をひとつずつクリアして紙テープを切り、折り、そして編んでいった。
40分後に完成した。冊子の写真は角がすぱっとした素敵なエンゼルフィッシュだった。それと同じ仕上がりというわけではないけれど、とにかく、できた。
そのとたん、すごくほっとした。子ども時代のちいさな未完成プロジェクトを、大人の自分が完成させることができたのだ。 ツァイガルニク効果をずうっと引きずってきたけれど、もうこのことは忘れていいのだ。
これからは、紙テープの熱帯魚を思い出すこともないかもしれない。子どもの自分を手助けしに行き、完成させてあげたから。
これが、その、どうということはないエンゼルフィッシュである。