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「大いなる緑の谷」とノルドストリーム2

 ジョージア映画祭プログラムF「第1回ジョージア映画祭アンコール」と題して4作が上映された。
 観た順番に題名を並べよう; 「私のお祖母さん」、「スヴァネティの塩」「少女デドゥナ」、そして「大いなる緑の谷」。


 いずれも佳作ぞろいだったが、時事ニュースとからめて、最後に観た「大いなる緑の谷」について書いておきたい。牛飼いのソサナは近代化に順応できない昔かたぎの人間である。少なくとも祖父の代からずっと牛飼いである。ある日長い牧畜生活から帰宅して、一人息子に、天然ガスによって自然発火する洞窟で先祖伝来の壁画を見せて、男の約束を交わす。ソサナは夢追い人なのだ。平原につったつ送電塔や、油田の開発とそれによる政府の集団移住が頭に入らない。
 ソサナがいかに独善的な男であるかは妻との関係によって明らかにされる。妻に家事万端を当然のように押しつける一方で、妻が、おそらく癲癇の発作による気絶や、近代的な住宅に住みたいという訴えを受けてもなお、転職や就労にもふみきれない。あげくは妻の浮気を疑う始末で、しかも、ソサナは併行して複数の女性と関係をもっている。それは、息子が奉公人の女性と関係をもった現場を目撃して、一切の情愛を棄てて天と母に告発するまで、男性性の神話にすがることをやめられない。あるいは、ソサナにとって人間は男しかおらず、女はよくしゃべる牛としか見ていなかったのだろう。


  ラストはホモソーシャルな相棒で、忠実な部下だった男が、牛のことが心配になったと云って転居先から出戻ってきて、たがいに抱擁しあう。雪下、霧中をさまよいながら、「牛は見つかったか?」という相方の問いかけに、「まだ見つからない」と答えて映画は幕引きとなる。
 映画では冒頭から随所に、地面から天然ガスが漏れでるシーンがはいる。忠実な奉公人はソサナのもとから離れるさいにガスが泥中から漏れでたことを見つけて、泥土でおおいかぶせさえする。乳牛から乳がとれなくなり、死産や突然死が相次ぐのも、油田開発による水の汚染が原因なのだが、ソサナはそうした近代化の弊害にさえ利益と一緒にかなぐり捨てて見ようとしない。
 先ほど速報でドイツのショルツ首相がロシアのウクライナ侵攻への制裁の一貫として、ロシアの天然ガスをドイツにおくるノルドストリーム2の承認手続きを停止すると発表した。しかし、報道ステーションの解説者によれば、パイプラインはすでに完成しており、エネルギー源が必要なドイツの内情をプーチン首相はすでに察知し、手ぐすねを引いて待っている。夢想を吐いているだけでは、死をも恐れぬ者たちとの死闘を制することは絶対にかなわない。勝つためには決断が求められる。

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