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命という壮大なオーケストラ

若い頃、ふと手に取った
ビジネス書『7つの習慣』に、
こんな問いがありました。

「死ぬとき、どんな言葉をかけられたいですか?」

その問いは当時の私に深く響きましたが、
正直なところ、本当の意味で理解
していたとは言えません。

それから数年後、あるプログラムに参加した際、
似たような問いかけを受けました。

「あなたは死ぬとき、何を感じていたいですか?」

その頃の私は、まだ死をどこか
遠いものと捉えていました。

病院で働いていたとき、
死は確かに身近にありました。
でも、それはあくまで「患者様のもの」であり、
自分とは無関係のものだと思っていたのです。

頭の中で描いていたのは、
穏やかな最期のイメージ。

安らかに、眠るように、
幸せな思い出を胸に静かに旅立つ。
そんな「美しい死」を想像していました。

でも今、彼の終末期をそばで
見守る日々の中で、

そのイメージがどれほど
幻想的だったかを痛感しています。

命は壮絶で、壮大です。

彼の1日1時間、1分、1秒――
そのすべてが命という名のオーケストラ。
けれど、それは決して整った
シンフォニーではありません。

痛みや苦しみ、怒りや葛藤、
時折訪れる微かな希望や幸せ。

それらすべてが入り混じり、
まるで音楽が始まる前の、

楽器が勝手に音を鳴らすカオスのよう。
これが今の彼の命の姿です。

私は普段「たられば」を語らないタイプです。

それでも、ふと思わずにはいられません。
もし彼が病に倒れる前に、

こんなふうに命と向き合いながら
生きることができていたなら――。
その可能性を考えない日はありません。

とはいえ、今、この瞬間を懸命に
生きる彼の姿を見ていると、
ただただ、命の意味の
深さに圧倒されます。

彼の中にある壮絶さの中にも、
確かに存在する命の輝き。

それは私たちの想像をはるかに超えたものです。

命はただ流れる川ではありません。

激流となり、渦を巻き、
時には穏やかに流れる。
予測できないその全体像が、
命の本質そのものなのでしょう。

彼と過ごす日々を通じて、
私は命の真実に触れています。

この壮大なオーケストラ――
混沌とした響きを全身で
受け止めながら私は、

ただ彼のそばにいるのです。

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