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選択肢の多い時代に考えること

現代ほど選択肢の多い時代はないだろう。働き方においては、転職が一般的になったし、リモートワークの普及もあって自由な場所で働きやすくなった。人間関係においても、SNS等を通じて新しい人と出会うことが容易になり、1つ1つの人間関係も切りやすくなった。

色々なコミュニティーを選択できることによって、活躍の機会に恵まれた人も多くいるだろうし、これまで出会えなかった人とも出会うことが出来る様になったのは本当に素晴らしいことだと思う。

一方で、1つの場所で長く貢献し続けたり、耳が痛い意見を聞くことが難しい時代に生きていると感じることがある。

例えば1つの場所で何かを頑張っている時にも、SNS等を通じて隣の芝がよく見えてしまうことはよくある。良い意味でも悪い意味でも自分の未来が見えた様な気になってしまい、目の前のことに全力で取り組むことが正しいのか分からなくなる瞬間がある。

また、耳が痛いことはすぐに叩かれる傾向にある。その為、SNS等では耳障りの良い言葉が多く、本質的な情報はクローズドなコミュニティーに能動的に取りにいかないと手に入らない。僕は最近のそういう風潮に違和感があるが、現状は人々の快/不快で善悪が決まってしまう様な場面を見かけることが以前よりも多くなった。

多くの人が沢山の縁に恵まれて、縁を切りやすくなっている時代だけど、僕は1つ1つの縁を大切にしたいと思っている。

新しい居場所に所属する時にいつも考えることがある。それは「あなたがいてくれて良かった」と思ってもらえる様に努めることだ。最終的にその場所を去ることになったとしても、なるべくそう思ってもらえる様にしたい。

もし自分が周りにあまり貢献できていないとしたら、きっとそこにいることが辛くなってくると思う。それくらい周りの人に必要としてもらえる環境は自分にとって大事だ。

綺麗事に聞こえてしまうかもしれないが、自分にとってはこれはとても大事にしている考え方の1つだ。仕事は人生の大半の時間を占めるからこそ、自分がいる意味をいつも考える。

もちろん僕はとびきり優秀な訳ではないので、出来ることには限りがあるけど、それでもその瞬間に出来ることは全力でやりたい。

もう1つ、「耳が痛い情報」に対する向き合い方についても考えていることがある。

僕は人生経験豊富な方々の本や有料コンテンツを意識的にインプットする様にしている。より本質的な情報はクローズドな場所にあると思っているので、そこには積極的にお金を使う様にしている。

なぜそうしているかというと、耳が痛いことにこそ本質的なことや学びがあると思っているからだ。一見すると古くさく感じてしまう考え方にもそれなりの理由がある。

僕があえてそういった選択肢も選びたいと思うのは、自分がこれまで成長したり変わりたいと思えたきっかけの多くは、「耳が痛い」と思った瞬間だったからだ。耳が痛い情報が忌避される現代だからこそ、そういった情報を能動的に取りにいけるかどうかというのはかなり重要だと考えている。

僕がまだ新卒だった頃、先輩に怒られることが沢山あって、恥ずかしながら当時はあまり納得できないと思うこともあった。しかし、自分が年次を重ねたり部下を持つ立場になって、当時の先輩が伝えてくれていたフィードバックの意味が後から分かったことがある。「耳が痛い」情報もそれと同じで、本当にそれが自分にとって必要なフィードバックなのかすぐに判断できるとは限らない。

この経験を通じて、フィードバックの意味がすぐには分からないこともあるということを知ったし、耳が痛いフィードバックを浴びていた瞬間に僕は成長できていたのだと思う。率直なフィードバックをくださった先輩にはとても感謝している。

耳が痛いことに直面した時に、どのような選択肢を選ぶかはそれぞれの自由だけど、最近は「耳が痛い」ことには意味があると考える様になった。

これから僕がどんなコミュニティーに所属していくのかは、まだ決まっていないしどうなるかも正直分からないけど、1つ1つのコミュニティーのメンバーと過ごす時間を大事にしたいし、耳が痛いことにも触れ続けていたいという考え方はこれからも変わらないと思う。

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