質問箱への回答③「問題の重要度を下げたい」
またご質問をいただきました🙂 質問に回答することがわたしにとっては現在のところ、最良の学びであると思っています。ありがとうございます。
今日はなんばパークスにあるお気に入りの海鮮丼のお店に母とお昼ごはんを食べに行ったんですが、その帰りにLOFTをのぞいたら SUO RING というものを見つけて、思わず買ってしまいました。夏場の Uber Eats 配達は自転車で走っている分には風を受けるため見た目ほど暑くないのですが、信号待ちやリクエスト待ちで待機しているときのことを考慮すると、やはり熱中症対策は必要です。ヘッドホン型の扇風機みたいなものや、水に濡らすとしばらく冷っこいタオルなんかを使ってきましたが、どれも一長一短でした。今回の SUO RING はどうでしょう。いま部屋の中で装着していますが、2時間経ってもまだ完全に溶けてはいないですね。外だとどれくらいもつでしょうか。
さて、本題に入ります。ご質問はこういう内容でした。
重要度を下げる、という表現はトランサーフィンの用語だと思われます。記事を読んでいただいていて、ありがとうございます。
今回は回答が非常に長くなりそうでした(じっさい長くなった)ので、回答の半分を質問箱に直接回答し、残りの半分はこの記事に追記させてもらうことにしました。それでは質問箱に回答した内容を引用します。
ここからは、回答の後半部分になります。
後半では、ご質問の件を当座の問題として、具体的になにができるかについてお話したいと思います。前半の回答はティーチャーという機能としてのわたしのものです。そして、後半の回答はヒーラーとしての機能からお答えします。
最初の方にも書きましたが、問題の重要度を下げるという表現はトランサーフィンのものですね。ですから、まずはトランサーフィンの観点からどういうことが言えるかをすこし掘り下げてみましょう。
なにかについて、それを重要だと考える、感じるとき、そこに問題が生まれます。つまり、問題とはすべて、全体からある部分を取り出して(焦点化して)、そこは他の部分より重要だと考えている、ということです。詳しくはこの記事を読んでみてください。
ここから言えるのは、重要度や重要性というものは例外なく「相対的」であるということです。相対的ということはつまり、この世界には絶対的に重要なものなど、なにひとつないということです。なぜなら、そもそもすべては一つだからです。強いていえば、その一つである全体こそは重要だと言えるかもしれませんが、それは結局「ぜんぶ等しく重要」ということになります。それは重要なものなどない、と言っているのと同じですね。
すなわち、重要度とか重要性というものはそもそも二元性(=分離感)がもたらす幻想なのですが、そうであるがゆえ、重要度や重要性とは、「これはあれよりも重要」という意味しか持ち得ないのです。それが相対的ということの意味です。
しかし幻想とはいったところで、それと一体化している自我にとってそれはまさに現実です。重要度や重要性を含むすべての問題について、それと一体化している状態の自我にはなにができるでしょうか? 実は、トランサーフィンとはまさにそれなんですね。
さきほど、重要度や重要性はすべて相対的であると書きましたが、つまり「A」ということの重要性が高すぎるとき、その重要性を下げることもまた相対的にやるしかないというのがポイントになります。具体的には「A」以外のもの、たとえば「B」や「C」や「D」といったものに重要性を与えてあげることです。あるいは「-A(Aの反対)」に重要性を与えるということもできます。
以前の記事で引用した文章を再掲しましたが、トランサーフィンが教えているのが、こういうやり方です。つまり、その問題に与えてしまっている重要度を直接引き下げることは無理だというのがゼランドの見解ですね。わたしも同感です。質問者さんも手放したつもりでもそれは無理やり自分を偽っている、と書いておられますね。手放すというのは、重要性そのものを手放そうということですから、たしかにそれは無理ですね。
ここまで挙げたことを簡単にまとめるなら、代替案を用意することが基本の策ですね。あるいは失敗したとき(思い通りにいかなかったとき)のことを想定し、その際のリスクを回避するための策を予め用意しておくことでも重要性を引き下げることはできるでしょう。これが「-A」に重要性を与えるということです。
また、重要性は振り子と関係していることも往々にしてあります。この記事では先ほど引用した箇所も含めて重要性について論じていますので、相対性ということを念頭に、もういちど目を通してみてください。
さて、質問者さんは「焦って行動に出るのは長らく止めている」そうですね。これは今回の件というより、これまでの経験を話されているのだと思われます。基本的なスタンスとして、慎重であることは賢明です。しかしながら、現在はすくなくとも、焦っている様子ではないと見受けられます。
そして、具体的にどういう事情のことなのかは分からないですが、「どうにかなるさ」という言葉からも、なんらかの行動が必要な問題なのかなという印象を受けます。
これについて、わたしに言えるのは、もし可能なのであれば「問題を小分けにしてみて、リスクのないことから動いてみる」ことをお勧めします。これはノンデュアリティとかトランサーフィンとか関係なく、個人的な人生訓のようなものですが、「なにもしないで考えているだけよりは、なんであれ行動したほうがずっとよい」とわたしは考えています。
実はトランサーフィンにおいてゼランドも、行動することで過剰ポテンシャルを散らすことができると述べています。そのあたりは引用して紹介しなかったのですが、これは言ってみれば「見るまえに跳べ」とか「案ずるより産むが易し」とおなじことだからです。でも、実をいえばこうした諺にこめられているのはトランサーフィンと同じ源から来ている智慧なんですよね。
行動といっても、たとえばですが、その問題について調査してみるとか、誰かに意見を聞いてみる(このご質問がまさにそれです)とかいったことでも構いません。なんであれ、この世界では思考よりも行動のほうが強いエネルギーを生みだしますから、大勢には影響のないような小さなアクションであっても、それを行うことで状況に変化をもたらすことができます。なぜなら、状況というのはあなたの頭の中にあるものですから、あなたが行動することによって、それは容易に書き換えられるのです。
つまり、なんであれなにかアクションを起こせば、それによって「あなたの頭の中にあるその問題についての重要性」に変化が生じます。これがゼランドが言っている、過剰ポテンシャルを散らすということの意味です。もちろん、この件への具体的な処方箋ではありませんが、前半の回答で書いたこと、つまり意識レベルの向上に取り組むことも、そうした行動のひとつです。これで、やることがいっぱい出てきましたね。
最後に、これは先日 pink cashmere さんのご質問でも紹介しましたが、TFTを使ってみることもお勧めです。この件では「ことのなりゆきが気がかり」ということが問題だと思いますので、その場合はいちばん基本中の基本である「不安に効くレシピ(眉頭→目尻→脇の下→鎖骨 の順でタッピングする手順)」を使ってみるとよいでしょう。
わたしの理解では、TFTは思考や感情との一体化を原因レベルで解体するテクニックです。したがって、トランサーフィンの技法にしたがって色々やりながら、いざその思考が浮かんできてしまったときにはTFTで対処していくというのがわたしにできる最善のアドバイスになります。
また、トランサーフィンの記事で紹介した「理性を緩める方法」も思考や感情との一体化を解除するテクニックです。単にその場で一体化を解除するだけであれば TFT よりもこちらの方が確実に効果があるのですが、厄介な思考や感情の奥底にある原因にアプローチしてそれを除去してくれるのは TFT です。ですから、まずは TFT とトランサーフィンを使ってみてください。そのうえで、この問題についての重要性がすこしずつでも下がってきたなら、「理性を緩める方法」だけでもこの問題に対処できるようになっていくでしょう。
意識レベルを高めるための取り組みとしては、「理性を緩める方法」が非常に効果的です。普段の生活のなかでは目は閉じず、視覚や聴覚を使って焦点を外す練習をしてみましょう。わたしは現在、普通にくつろいでいるときには視覚も聴覚も焦点をもっていません。自転車に乗るときも視野全体を使っています。実は、この方が安全なんですよ🙂
瞑想をするなら、目を瞑った状態で意識内の視野から焦点を外します。瞑想の熟練者が自然とたどり着く状態がこれなので、長い修業は必要ありませんね。ぜひやってみてください。
以上、毎回とはいえ、またしても長い記事になってしまいました。すこしでも参考になれば幸いです。またお会いしましょう。
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