「おお~」現象の内訳

「おお~」と思うことがある。それは、たこ焼き屋に自転車で乗り付けて買い物をしていく主婦や、道端で電動ドライバーを持って日曜大工をしている老婆を見たときに発揮される。何かしら自分の考えが少しだけ揺らぐときの「おお~」という感情について、今日は考えてみる。

例えば、たこ焼き屋に自転車で乗り付ける人。恐らく常連客なのだと思う。通りすがりに「たこ焼き買おうか、どうしようか」と迷う人なら、そろそろと通り過ぎて戻ったり、近くまで寄って逡巡していたりするものだけれど、まっすぐ乗り付けるのだから。個人的に、たこ焼きは日常的に買うものではないし、よって常連客になるという発想もなく、まして自転車に乗って買うものだとも思っていなかったので、ちょっと驚いた。

そこに何ほどかの生活力の高さというか、生きていく上でのしたたかさが垣間見えるのはどうしてだろうか。売られているのがたこ焼きではなくコーヒーだったら、自分はそこまで驚かなかった気がする。たこ焼きというところがいい。庶民的な食べ物で、勝手なイメージだけど不況にも強そうだ。不景気になって「スイーツ買うの止めよう」と思う人は多いかもしれないが、「たこ焼き買うの止めよう」とはならないように思う。それを自転車でパッと買って行く、そのスピード感も含めて新鮮だった。

「おお~」の内訳を分析するなら、そういうことになる。「道端で電動ドライバーを使う老婆」も話は同じだ。そこに意外性があったのだ。お年寄り(とりわけ昔の女性)は、機械操作に慣れていないという思い込みがあったのと、日曜大工は基本的に男性(もしくはDIY好きな若い人)のものだというイメージが先行したせいで、木材を接合するべくドライバーを唸らせるおばあちゃんに感動した。

「意外性」に出会うことの面白いところは、自分の思い込みに気づく点にある。びっくり箱から人形から飛び出て来て驚くのは「箱の中に入っているのは静止物だ」という思い込みがあるからで、サプライズプレゼントに驚くのは「こういう時(あるいは場)でのプレゼントなんて期待してなかった」という前提があるからだ。感動はギャップから生まれる。

意図的に「感動」というギャップを生み出そうと思ったら、だから、他人の持つ常識や前提に敏感でいる必要がある。「おお~」という現象を意図して生み出せる人たちは、他人のことをとてもよく観察している人たちなのかもしれない。人の気持ちを動かすことのできる人は誰でも、観察力に長けているのだろう。

感動を生み出したいと思ったら、まずは「前提が何か」を見ることから。観察力を鍛えよう。今日は「おお~」が生まれる場面から、そんなことに思いを馳せた。

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メルシーベビー
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。