港の子どもだったころ
自分が生まれた地元の産院の向かいに、小さな神社がある。鳥居の奥には本殿とも呼べないような古びた家屋があり、木に彫られた動物たちが正面上にいる。猿とか鶴とか亀とか。その木の両端には、首だけの象が笑っていた。
アニメチックな象ならまだしも、リアルな象である。それが理由もなく笑っているのはどこか異様な雰囲気で、下界を見下ろす神の高笑いにも見える。なんだってこんなところに象がいるんだろうと、産院の近くを通るたび不思議だった。
生まれた場所が海に近いのを思えば、水神か何かなのかもしれない。
神社の隣には墓場があり、母が幼いころ世話してもらったという、読み書きのできない女中さんが眠っている。学はないものの、とてもいい人だったらしい。
産院、墓場、神社。人間の人生を一気に請け負っている場所で、笑っている象。
ある日おもいたって調べてみると、象というのは金毘羅さんと関係あるらしいと知った。「〽こんぴら、ふねふね、お池に帆かけて、しゅらしゅしゅしゅ(…)象頭山(ぞうずさん)こんぴら大権現」の金毘羅さん。航海の神であり、船の神でもある。
本拠地は香川の象頭山にある……とのことなので、たぶんそのへんに由来しているのだろう。一応インドの象の神さま(ガネーシャ)の可能性も考えたけど、こっちは富の神さまだ。神社の立地からすると、海に関係ある神さまと思うほうが自然に見えた。
海と言っても、泳げる場所じゃない。海上は交易の道である。私が生まれたのは港がある町だった。そこいらで「港町」と言えば、すなわちこの地域を指す。
ここの子どもたちは「港っ子」と呼ばれる。海町でも海っ子でもない。ここは船が出入りする「港」なのだ。
それは住民のアイデンティティになっているらしく、小学生の頃からいたるところで「港/湊」の文字を見、また唄を聞いた。
〽みなとよいとこ 佐竹さんのご門
長いマタ廊下は チョコチョイサカ チョイチョイチョイ
長いマタ廊下は 雄物川
ヤレ来た 秋田の港町 置いてけ積んでけ ギッチラホ
人々は船荷を置いては積み、置いては積む。象は水夫の守り神だったかもしれない。だとしてもあの笑い顔は、単に無償の愛を注ぐ神の顔ではないけど。象の頭の右端のほうは産院を向いていたから、私が生まれたときもこっちを見ていただろう。
七月にはこの地域で「港まつり」と呼ばれる祭りがある。激しくて規模の大きいやつ。自分もむかし駆り出された。この地域の子たちは、祭りというと学校休んで参加するのが当たり前なので、この間は授業にならない。
盆踊りなんてなまぬるいものはなく、それぞれの町内に独特の踊りがあり、歌詞もそれぞれにひどい。自分が踊ったのは「♬エイヤーはたらーけ、ドッコイ」だったり「♬かーねーこんもりずんどりこ~」とかだった。
いま思えばなんだったんだろうな、あれ。
地元を離れて暮らすようになってから、そもそもたいていの人は地元特有の祭りも踊りもないのだと知った。せいぜい町内で小さな神輿かついで「ワッショイ、ワッショイ」とやるくらいで、それとて激しいものではまったくない。
だから初めてワッショイを見たときは、あまりの覇気のなさに脱力した。これのどこかが祭りやねん。祭り言うたら気合入れて叫ぶもんやろがい。
当時はそう思った自分も、もう10年以上祭りに出ていない。学生時代は帰省して見に行ったりもしたし、かつての同級生の大半が祭りに出ているから、必ず知り合いに会えた。いまはそうも行かない。
ここ二年くらいは感染症もあって開催を見合わせていたが、今年はやるらしい。たぶん今頃、参加する子どもたちは踊りの練習の真っ最中だろう。音楽は湊ばやし、子どもは湊っ子。故郷のそんな話。
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画像引用元:https://tutizaki-hikiyama.com/about/personnel/
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