もの書く理由
地方の公立校で義務教育を受けた。その自分には、この文章が他人事には思えなかった。
私は公立の小学校、中学校、高校に通ってきました。どれも進学校ではありませんし、高校は就職する生徒の数のほうが多かったです。塾に通ったことも通信教育を受けたこともありません。たまに都会の進学校出身の人たちの話を聞くと、別世界のように感じ驚きます。
私の同級生や先輩後輩には、家庭の経済状況から高校に通えない子、定時制高校を受験した子、九九が理解できない子、大学は出て就職はしたけれども就職先が辛くて実家に戻った子などがいます。親が自死した子も何人かいます。
そのうち少なからぬ人びとが私にはない特技を持ち、「そんな魚の食い方じゃ、魚がかわいそうだぞ」とか「おめえ、字が汚ねーな」とか「先輩のテニス卑怯だわー」とかいっぱい言ってくれました。
丸刈りの校則を押し付ける先生に歯向かい署名活動をして叱られた先輩、部活の遠征時にバスでバスガイドをしたり、高山厳の『心凍らせて』を熱唱したりして、長旅を楽しませてくれた後輩。マンガ『スラムダンク』の登場人物を本当に美しく描く同級生。嫉妬するような才能でした。
だから、無芸で臆病だった私は、せめてほとんど唯一の(しかしとても貧弱な)「芸」である文章を書かなければみんなに顔向けできません。
これが論文なら「引用が長い」と叱られるところだ。だけどどこも削れない。たくさん共感する部分があって、どの一文も大事で、だからこの長さになる。自分の中学校時代にも、いろんな生徒がいた。
「お父さん仕事が決まればいいけど、そうじゃなかったら生活保護かなあ」と、それが当たり前のように話していたクラスメート。それに対し、さして驚きもせず「ならウチ味噌くらい持ってってあげるよ」と返していた子。孤児院で暮らしている子どもたちも、1クラスに数人の割合でいた。
進学のため都会に出たとき、同じように「別世界」に驚いた。同級生の大半が中学受験を経験し、ヤンキーの子たちが「開成って日本一の中学でしょ」と言う世界。そんなヒエラルキー、私の地元では誰も知らないよ……。そしてまた、ある種の人々はこともなげに「貧しいのは本人のせい」と口にする。親がすべての学費を出してくれた、その大学に居座りながら。
地元の同窓生たちは、確かにそれぞれの才能に溢れていた。「筋肉」とあだ名がついた野球部の男の子は、とにかく体力に優れ、シャトルランで毎年一位になっていた。のみならず美術の才能にも恵まれていて、デッサンの授業で「サモトラケのニケ」を描いていた。当時美術部だった自分が、遠く及ばないような出来栄えだった。ポップアートの才を持つ子もいれば、彫刻のように美しい生徒もいた。そのどれにも私は及ばない。
文章を書くのは、それが自分の持つ一個の芸だと信じるから──。そういう側面は確かにある。子どもの頃から周囲が才能に恵まれているのなんてわかっていて、その中で何ならできるか考えて、見つけたのが「書く」だった。自分は「みんなに顔向けするために……」の意識がない分、上の文章の書き手より無責任かもしれない。
あの狭い世界の中では、自分は読み書きに優れたほうだった。それがきっかけになっていまでも続けている。そういえば壁に貼られた作文に感想をくれたり、卒業文集に載ったエッセイにコメントしてくれた子もいたっけ……。
時々彼らを思い出す。自分が何を書けばその人たちのためになるのか、よくわからない。考えたこともない。でも自分の中には確実に、その人々との思い出が染みわたっている。顔向けできないのだとしても、私の中に彼らはいる。『言葉をもみほぐす』を読む。
引用:赤坂憲雄、藤原辰史『言葉をもみほぐす』岩波書店、2021年、pp.4-5。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。