結婚式をふりかえって、後悔とか
一年ほど前に式を挙げた。神社で挙げるタイプの神前式にした。
ウェディングドレスを着るタイプの「結婚式」はしたくなかった。イメージでものを語るのを許してほしいけど、なんか面倒くさそうだから。ふたりの思い出のフォトムービーとか、たくさんの友人を呼んでの食事とか、ケーキカットとか、ブーケトスとか。
呼びたい人がいないわけじゃないけど、ご祝儀を要求するのは心苦しい。知り合いは東北、北海道、東海といろんな場所にいる。ひとつどころに来てくれとも言いにくい。会ってすぐに入籍した旦那さんとのあいだに、思い出の写真はほぼない。
そんなわけで「式は挙げなくてもいい。やるなら写真だけ(フォトウェディング)でいい」と思っていたのだけど、父と旦那さんが「けじめとして挙げるべきだ」と主張した。コンパクトに親族だけ揃うのでもいい、周囲へのお披露目や報告である必要もない、純粋な結婚式でいい。
そういうわけで、食事もなにも付いていない、式だけの式を神社で挙げた。当時すでに入籍して同居生活を始め、妊娠もしていたので、安産祈願の神社を選んだ。総額は40万ちょっと。着物を持ち出しにするかランクを下げれば、もう少し抑えられたと思う。
もしやり直せるとしたら、もっと手づくりの結婚式がしたい。自分たちに縁のある神社を選び、母のむかしの着物を着せてもらい、写真好きの父がカメラマンになる。そのほうが、きっと思い出深い式になっただろう。
ブライダルプランナーを通さず、神社に直接、式の交渉をすることってできるんだろうか。わからないけど、もしできるなら仲介役はいないほうが安く済む。そういう風に自作できたらよかったなあ。いま言ってもせんないことだけど。
小さいころ住んでいたエリアの神社は、初穂料(式を挙げるにあたって納めるお金)が3万円だった。これはかなり安い。だったらここでもよかったかもな、と後から思った。もっとも、安いところは手抜きかもしれないから、そのへんは注意が要る。
もし自分と同じように「ウェディングドレスで式を挙げるのは、どうもなあ……」と思っている人がいたら、神前式をおすすめしたい。独身の友達に花束を投げる必要もないし、思い出フォトムービーのために写真を集め、編集する時間もいらない。
フェミニストが「娘が父から新郎に『手渡される』、あのバージンロードは女性蔑視である」と言うことがあるが、神前式にバージンロードはない。お父さんが正装して娘の隣を歩く必要はないし、上司がしゃしゃり出てきて長い祝辞を述べる退屈な時間もない。
あるのは巫女さんの踊りと、お酒の呑み交わし(口をつけるだけ)と、神前であげる誓いの言葉、それくらい。花嫁行列で神社を練り歩くので、これは天気が悪いと辛い。できるだけ晴れの日を狙ってやるのがいい。
個人的には、スピーチもケーキカットも何もない結婚式はよかった。シンプルイズベスト、そういうことだ。手づくりでやればもっと簡素化できただろう。
他の人の「結婚式」の記事を読んでいると、みんないろいろな「これがよかった」「これは後悔した」を語っていておもしろい。
「400万かかった。本当は費用を抑えて、新生活の準備に回したかった」
「あまり親しくない人が来て、長々スピーチをした時間が辛かった」
「フォトムービーには、来てくれた人たちの写真をたくさん入れた。盛り上がってよかった」
「神社にいた見知らぬ人たちに祝われて、ちょっと恥ずかしかった」
などなど。
同じ神前式でも、中には「お酒がおいしかった~!」という人も。わたしは妊娠中だから飲まなかったけど、なるほど酒の味で選ぶという手もあるのかな?
自分にとっての結婚式は、特に「やってよかった!」という感動はないものの、一個の経験になった。1年経って記憶は薄れているけど、先日あらためて件の神社を参拝してきた。当時お腹にいた娘を腕に抱いてのお礼参りである。思い出の場所ができたという意味では、やってよかった。
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