印象派が見たドレフュス事件
映画『オフィサー・アンド・スパイ』を見て以来、ドレフュス事件をいろいろ調べている。時は19世紀フランス、無実のユダヤ人将校をめぐって、フランスが「あいつは有罪だ!」「いや無罪だ!」とその話題で持ち切りになった。
「持ち切りになった」という表現は誇張じゃない。政治家はもちろん市民も芸術家もみんなこの話をしていた。この時代を生きた印象派の画家たちも、ドレフュス大尉の話をしていた。いま読んでいる『ジュリー・マネの日記』からそれがうかがえる。
ジュリーはエドワール・マネの姪で、当時の画家たちに囲まれて育った。日常的にルノワールやドガと接していたから、当然日記にもその名前が出てくる。日記を読む限り、ルノワールはユダヤ人を快く思っていなかったらしい。
歴史が知る通り、ドレフュス大尉は無罪だった。むしろフランスを愛し国のために尽くしたいと思ったからこそ、優秀な成績を収めて軍人となったのだ……と言う人もいる(リンク先は過去記事)。
もっとも印象派の画家たちがそれを知る由はないし、日記の書き手であるジュリーもまた、反ドレフュス派に傾いていた。
政府に動きがあると「これはドレフュスを無罪にするための陰謀に過ぎない(1899/6/22)」と書いたり、「ドレフュス派はついに再審までこぎつけた。でもその結果は祖国フランスをもっと悪くすることにしかならない(1899/8/7)」と書いたり。
印象派周辺が特別、ユダヤ人を目の敵にしていたわけではなく、フランス全土にこういう人はいたんだろう。そうして本人たちはただ、祖国を憂いているだけのつもりだったんだろう。
ドレフュスにも味方はいた。文学者のゾラだ。彼が「私は弾劾する(J’accuse...!)」と題して新聞に載せた文章は、軍隊を非難しドレフュスを擁護するものだった。そのゾラはこんな風に書かれている。
裁判にあたってゾラの弁護にあたったのが、ラボリという弁護士になる。ルノワールは裁判を傍聴していたらしい。
牡蠣を食べるルノワール。ジュリーの日記の中のこの人はまったく気のいいおじさん、ついでに絵が抜群にうまい、くらいの立ち位置で出てくる。自転車で転んで腕を骨折したり、毛むくじゃらの腕をジュリーに「気持ち悪い」と書かれたりしている。
ルノワールはゾラが嫌いだった。裁判にあたってのこの話も、かなり誇張と歪曲を含んでいるだろう。
日記を貫くユダヤ人への偏見に、胸が悪くならないと言えば嘘になる。でもだからと言って、ルノワールの絵を嫌いになったり、ジュリーは最低な奴だと思うわけじゃない。だって日記を読めばわかる。
家族思いでお母さんが好きで、褒められると嬉しくなる、普通の人なのだ。おかしいと笑いが止まらなくなり、かっこいい男の子を好きになり、婚期を考えてモヤる、普通の女性なのだ。そういうジュリーを嫌いになる人は、たぶんあまりいない。
どこかに「差別主義者」と名付けられた極悪人がいるわけじゃない。普通の人の中に差別意識は潜んでいる。ドレフュス事件とは関係ないけれど、こんな文章が書かれた日もあった。
この日の日記には、ジュリーが詰まっている。世間との乖離に焦り、誰かを差別的に見下し、それから恋を自覚する。良くも悪くも、どこにでもいそうな人。
引用はすべてこちらの本から。ロザリンド・ドゥ・ボランド=ロバーツ、ジェーン・ロバーツ編『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』橋本克己訳、中央公論社、1990年。
あとドレフュス事件に関連して興味深かったのは、ドレフュス大尉の肉声だろうか。ネット上に公開されていて誰でも聴ける。ややザーザーという雑音は入っているけれど、声色は十分聞き取れる。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k127931s
映画のほうは、あまり好きになれなかった。役者の演技もセットも見ごたえがあるのだけど、いかんせん絵面が綺麗すぎる。本当のパリの街はここまで綺麗でもなく、またドレフュス大尉は罰を受けたあと、ここまで元気でもなかったと思う。
予告編はこちら。