ふつうに明日も仕事だし、いつかは月にも行けるはず
イーロン・マスク率いるスペースエックスがロケット打ち上げに失敗していた。このとき社内からは歓声が上がっていた……と聞いて、こういう前向きな反応はいいなあと素直に思う。失敗だ失敗だと誰かを責め立てたり、悲嘆に暮れてしまうよりも。
日本でも、民間企業アイスペースによる月面着陸の失敗が伝えられた。昨日の深夜の話だ。次への大きな一歩になることを祈って、歓声は上げないけど夜空を見上げている。やってくれてよかった。なにせ、今回はNASAとかでなく民間の打ち上げと聞いて、ずいぶん月が身近になった気がしたんだ。
これは戯言に過ぎないけれど、心理的に近くなればなるほど、実際に行ける確率も上がる。そんな風に思えてならない。あと一歩だ、っていういまこのときが、ひょっとしたら一番わくわくする時間かもしれない。
地球上にはいろんな場所がある。あたりまえだ。月にだってある。地球にあって月にないものはなにか。答えは簡単で、ひとびとの思い出が足りない。地球は人類が長年すんでいる場所なので「この土地にはこんな意味がある」とか「こんな歴史的な記憶を背負っている」という物語が各所にある。
空間とか場所っていうのは、無機質に存在しているだけじゃなくて、わたしたちの思い出や記憶を背負っている。それは「人類発祥の地」みたいな歴史的なものもそうだし、もっと個人的なのももちろんある。
地元には「小学校三年のときに自転車で転んで、肉が見えるまで膝をすりむいた坂」がある。その先には、当時かよっていた習字教室があった。先生は高齢だったので、きっともう亡くなっただろう。
近くには陰気な公園があって、冬になるとそこでソリをすべらせることができた。大きな松の木があり、小学校の同級生だったユイちゃんとマドカちゃんは、そこに二人でタイムカプセルを埋めていた。過去の出来事は、ひとつどころをめぐってこんな風に数珠繋ぎになっている。
大学のころの先生も言っていた。
「好きな人とすれ違ったところ。試験のために必死で勉強した、図書館のいつも座っていた席とかね。ただの場所であるはずがないんです。数学的なモデルを使って考えれば、空間はどこも価値が同じだってことになるんですけど、我々はそういう風に物事を見てはいない」
場所は、ただ広がっているだけの空間じゃない。そこで起きた出来事、歴史、個人的な記憶、そこに積み重ねられた時間が透けて見える。地球はまちがいなく、人類にとって最も多くの意味ある場所を持つ。これからは月もそれに準じていくかもしれない。いくだろう。
一個の惑星をめぐるあらゆるありうるエピソード。
「むかし月のどこどこから初めて地球を見たんだよ。あれは感動したな」「プロポーズは地球から見えないところにある小高い丘だったわ」「一番最初に着陸したところに、友達と秘密基地をつくったの。ほかの動物がいない星なんて初めてだねって話し合って、いまが何時なのかもわからないままずっと起きてたの」
何十年かしたら、こういう話が普通にSNSに上がっているかもしれない。SNSがまだ存在すれば、の話だけど。
自分は建築業界に勤めているので、つい「月になにかしら建てるとして、月面建築ってどこが請け負うんだろうな……」と考えてしまう。月面専門の建築会社とか出てくるんでしょうか。出てきてほしいですね、そのほうがなんか楽しいので。そのとき現場に呼ばれたらお手伝いに行きたいと思います。
どちらにしても、本当に月に行けるのは先のことだ。明日やあさっての話じゃない。だから文字通り、地に足を着けて生活する。ふつうに明日も仕事。それでもちょっとわくわくするニュースがあると、いつもの風景が違って見える。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。