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ものもらい、気持ち

 「もらう」という言葉がある。プレゼントを、サインを、許可をもらう。これは基本的にはよい意味で、利益がやってくることを指している。でもそうじゃない意味もある。「ものもらい」といえば、まぶたにできる腫れ物。「風邪をもらう」もありがたくない。
 
 最近では「勇気を」「元気を」もらう、というように、ポジティブな感情に使われる。人によっては「感情はモノみたいにやり取りできるものじゃない。まちがった用法だ」と違和感を覚えるらしいが、個人的にはあまり気にならない。
 
 それは、自分が実際にだれかから感情を「もらう」人間だからだ。たいていはネガティブな意味で。怒りとか、落ち込みとか、苛立ちとか、人と接したあとに相手の感情がずっと残っていることがある。
 
 たぶん怒った本人はもう忘れているだろう。一瞬、たまったいらだちを発散するように怒りを表明したら、もうおしまい。そういう人はときどきいる。怒ったあとはケロッとしたもので、自分がなにを言ったかも忘れている人。
 
 でもそれを見たり聞いたりしたこっちは、忘れないでその怒りをひきずってる。心臓がバクバクした嫌な感じとか、みぞおちあたりがギュッとするような感覚がしばらく残っていて消えない。
 
 こういうときに「もらってしまった」と思う。どこからか風邪を拾ってくるように、負の感情が手元にきてしまった。そういう感覚。
 
 勇気や元気をもらう人も、こういう感じなのかもしれない。「だれかと会ったあとはずっと胸のあたりが温かい」とか。あるいは「いつもよりちょっと挑戦的な気持ちが続く」とか。
 
 こういうポジティブな「感情もらい」は、想像はできるけど実感したことがない。怒りとか血の気が失せる気持ちとか、そういうのは体が持って行かれるような感覚があるけど、勇気や元気でそうなったことがない。なんだろう、体質の違いかな。
 
 体質じゃないとすれば、訓練でどうにかなるのかもしれない。手洗いうがいをすれば風邪をひきにくくなるように、怖い気持ちをもらいにくい体になることができれば。そうすれば、きっともう少し元気でいられる。
 
 むかしカウンセラーの先生が言っていた。
「自分の内側から出た感情だったら、自分でなんとかすることができるんですけど、ひとからもらったものだとそうはいかないんですね。だって他人のものだから。自分でどうにもできなくてずっと残ってしまうっていうのがあるんですけど」
 
 自分の感情ではなく、他人の感情だから処理できない。先生は「負の気持ちをもらってしまうこと」について、そんな説明をした。
 
 このメカニズムがどこまで真実で、どうやって証明可能なことなのか、という話はしない。苦しいときに必要なのはよく利く薬であって、薬の医学的実績を聞くことではない。すこし前向きになれるのであれば、どんな説明でもいい。
 
 先生が続けて言うには
「自分のものじゃないってわかってるだけでいいんです。胸の奥にひきつれるような嫌な気持ちがある、でもこれは自分のじゃなくてあの人のだ、って。他人のものなんだから、自分ではなんとかしなくていいんですね。なんとかしようとしてもできません」
 
 この理屈は腑に落ちるところがあったから、以来「変な感情をもらってきた」と感じるときには積極的に使っている。これはわたしの怒りじゃない、わたしの苛立ちじゃない。だから放っておいても大丈夫。
 
 そういうときには「ものを返す」ような気持ちになる。これ、わたしには必要ないから返すね。もともとはあなたのものだったんだから、持ち主のところに戻そう。そんな感覚。
 
 贈り物を返すのは失礼だけど、目に見えない感情なら、返しても失礼にならないだろう。ありがたくないものならなおさら。

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メルシーベビー
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。