イグ・ノーベル賞もろもろ
イグ・ノーベル賞、16年連続で日本人が受賞……はおめでたいとして、フランス勢が受賞した内容も気になっている。2017年には「猫は液体である」との研究結果で賞を取るに至っているし、今回は「成功は才能ではなく運で決まる」だった。
才能ではなく運。こう言われても「うすうす知ってたけど遂に証明されたか」としかならないけど、この研究はおもしろい。「成功は時の運だから諦めろ」という話ではなくて、「だから運を掴みに行け」と読める。
「掴みに行け」と言われたところで、運みたいな実体のないものをどう掴むのか。これは当然の疑問で、わかりやすく言うと「なにに対しても門戸を閉じない」と言える。
私はあれもこれも才能がないからダメ、と諦めないで、とりあえず運を掴む準備をしておく。全方位に対してそれができれば、どれかは当たるかもしれない。いい加減な話ではあるが、世の中そういう風にできている。
逆に言えば「次はかならずこれが来る、これに張るぞ」と思ってそこだけに投資していても、裏切られる可能性は十分にある。なぜならどれが当たるかは運によるからだ。これは宝くじに似ている。当たるくじだけ買うわけにはいかない。
よって日本の科学研究費なんかも「選択と集中(当たるくじだけ狙う)」じゃなくて、全方位に投資するとよい計算になる。
この研究の要旨にも見られるように、他の人よりたまたま運がよかった人を過剰に厚遇するのは危うい。まだラッキーの波がやってこないだけの天才が埋もれている可能性も高く、彼らへの支援を犠牲にするのは賢い方法とは言えない。
「誰が成功するかはわからない=運次第だ」。研究はそう言ってる。だから全方位を支援すれば、最終的に大きな成果を得られる。
ただこれ、結局すべての分野にリソースを割ける人だけが勝利するので、あんまり平等じゃないなあと思う。人生の成功は運で決まるかもしれないけど、その運を掴むには全方位に気を配る必要があり、そのためには実家が太いほうがいい、みたいな……。
そういうわけで、この研究は「できることは全部やってみろ。成功するかどうかは運なので、とりあえず全部やる」という教訓として受け取った。
日本人の受賞者は「つまむ」行為を研究した千葉工業大のグループだった。指先を使って物をはさみ、押したりねじったりする、あの行為。鼻をつまむときには自然と二本の指を使うけど、それがどうしてかはいちいち考えてない、無意識でやる行動。
中心となった教授は、教授と同時にプロダクトデザイナーでもある。もろもろの製品のつまみの形や、つまみやすさに一石を投じる研究になった。製品開発に関わっている多くのデザイナーは、今回のニュースを興味深く見たんじゃないか。
日用品の変革は、こういうところから始まっていくらしい。「気づいたら最近の製品、なにもかも手にやさしいな」って思う日がきたら、この研究とつながっているかもしれない。たぶんつながってる。
今回受賞した人たちも、件の研究によれば「時の運」と言えてしまうけれど、研究していなかったら受賞もありえないからなあ。やっぱりできることを淡々としていくに限る。
資本主義社会では「努力すれば成功する」と教えられがちだけど、それは「成功しなかった奴は怠け者だ」にすぐスライドする。そうじゃない。才能があっても勤勉でも、運がやってくるとは限らない。できるのは幸運への用意だけだ。
その他のイグ・ノーベル賞は、文学賞に「法的文書を不必要に難しくする要因の分析」、生物学賞に「サソリの便秘の交尾に対する影響」、平和賞に「ゴシップを話す人の真実を伝えるか、うそを伝えるかの判断を助けるアルゴリズムの開発」などなど。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。