満たされている
私は友人が少ない。
一人でいることが好きだから、それについては特に悩んだりしてはいない。
そんな中でも、時々会ってランチをする友人がいる。
彼女は私より一回り以上年下で、彼女の主宰するサロンの客として出会った。
帰り際に短い会話をする程度だったが、なんとなく気が合い共感することが多かった。
そんな彼女が三年ほど前サロンを閉めることになり、一度ランチでも、というところから仲良くするようになった。
正反対なタイプに見えてどこか感受性が似ていて、何でも、と言うより普段あまり他の友人には話さないようなディープなことも不思議と話せた。
境遇はおそらく全く違うけど、お互いそれぞれの悩みや想いを抱えながら、会う度答え合わせのようにそれぞれ変化(成長?)していくことが面白かった。
「分かる、分かる!」
は決して建前ではなかった。
先日も答え合わせで盛り上がり、流れから「愛」の話になった。
何がトラウマかは定かでないが、私は愛情というものが良く分からなかった。
「愛」という言葉が苦手だった。
学生時代や独身の頃は人並みに恋愛はした。
でも、根底は冷たいから優しく振る舞おうと努力している人間なのかな…と。
それでも、結婚後バービーの世話をする過程で愛おしいとか切ないという想いを抱き、これが愛情というものなのかと感じるようになった。
(夫よごめん・笑)
多分夫にその土壌は作ってもらっていたんだと思う。
そして、うつみんや様々な人、物事との出会いで気づいてしまったのだ…
私は愛で満たされているのだと!
だから最強なのだと!
それが今回の答え合わせだった。
「だって〇〇さんは愛の人だもん」
と、彼女は分かってたように言った。
以前の彼女も愛というものが分からずもがき、息子さんとの出会いで気づくことができたと話した。
そうなのだ。
誰かに愛してほしいとか愛が足りないとかではなく、自分自身が愛で満たされ溢れていることに気づいてしまったのだ。
幸せ満タン状態♪
先日終わったばかりのドラマ「アンメット」のラストが、正にそれだと私なりに解釈している。
愛は与えて満たしたり満たされるものではなく、自身で己を満たし溢れて光を放つものなんだと思う。
少し前の私には考えられもしなかったこと…