「日常」を守ることの大変さ
実現しなかったこと
去年のお正月の時に、僕はあることを誓っていたことを思い出したんです。来年のお正月こそは、ゆっくりとした時間を過ごそうということです。どこか旅行でもいって、家族水入らずで過ごそうなんて考えていました。
ですが、それを実現することが出来ませんでした。
そのことは、毎度のことながら、実現せずに正月になれば、自分に誓っていたことだったのです。ただ、いつも家族に宣言していたのですが、反応が悪く、どこか諦めてしまっているように感じるのです。正直なところ子供達はパパはうそつきだと思っているのかもしれません。そう思うと悲しくもなってしまいました。
去年はというと、お正月どころか普段のお休みも、数える程度しかありませんでした。年々、僕の会社では人手不足という問題が深刻になっているのです。どれだけ募集をしても人が集まってこない状況なのです。そのせいで、僕の思い描いたことからどんどんかけ離れていきました。今では、毎日が切迫していて、日々時間に仕事に追われているのです。
それ故に、今年のお正月も仕事をすることになってしまいました。
そうしたことに、僕は家族に対して、非常に負い目を感じてしまっているのです。家族との時間を作ると約束しても、叶えることが出来ないことばかりでしたから。今度こそはと意気込んでみても、叶えることが出来ませんでした。そうしたことで、家族には随分と寂しい思いをさせてしまっていたんです。
ある時、息子が幼稚園のアンケートのようなもので、こんなことを答えていたのを見ました。今、一番やってみたいことは何かという質問に旅行にいきたいと答えていたんです。
それを見て、僕はとても心が痛んだのです。
仕事が大変なときで仕方のないことなのかもしれませんが、心苦しくなりました。
改めて日常を守ることの大変さをしりました
年末に仕事でショッピングモールに買い出しに行くことになりました。そこには沢山の家族連れの姿がありました。その光景を目にしたときに、僕の中で心の在り方が変わったのです。普段なら羨ましいくらいにしか思わなかったのものです。自分が苦労しても、必死になっても実現することが出来ていない形を目の当たりにしたからこそ思えたことなのかもしれません。
これは、決して仕事をしている自分が偉いとか言いたい訳ではありません。例え、僕自身が実現可能であっても、家族の誰かが、行けなくなってしまうと叶わないことなのです。
家族とは、そういう関係性ではないはずです。みんながそれぞれの役割を担って支え合うものだからです。社会、全般においても、言えることでもあります。
そもそも、僕が仕事に専念できるのも、家族の支えがあるからこそ、可能な訳なんです。家族を一つの会社として運営するという風に考えてみたことで見えてきたんです。家族を運営していくのに、仕事だけでは成り立たないのです。家族にはそれぞれの役割があるのです。その上で、それぞれが絶え間ない努力の上で、日常は守られて成り立っているのです。この部分も決して見落としてはならないと思いました。
家族そろって買い物に出かけるという何気ない光景なのかもしれないけれど、そこには、本当に沢山の苦労や努力があったから見れる光景なのです。
僕の中では、家族そろって食事をすることですら、やっとの思いでした。だからこそ、そこに感動することが出来て、その時間に感謝することができたのです。それを実現するために僕自身が分かっているのです。必死になってみても、どうしても実現できなかったこともあったんです。
僕が見た年末のショッピングモールでの家族の姿のすべてにおいて、それぞれの絶えまない努力や思いが詰まっていたのでした。
僕らの何気ない日常の中には、涙ぐましいような努力や強い思いが隠れているのだということです。当たり前になり過ぎて見えなくなっているかもしれませんが、こうした努力や苦労があった上に、僕らの日常はなりたってういるのです。嬉しさや喜びといったものを感じられるのは、先ずはこうした努力が基盤となっているということ。このことが見えるような人間でありたいと思いました。そうすれば、自分を含めた全ての人に対して尊敬の眼差しをむけることが出来るし、感謝の気持ちを持ち続けることが出来るはずです。
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メルシー