賢い生き方か豊かな行き方か
賢い人とは
小学生の頃、要領の悪い子だとしょっちゅう言われてきました。憶えていることがあって、友達がお財布を落としてしまったといって、泣いて困りはてていたので、僕は一緒になって探しました。公園のベンチに置き忘れていてそのまま、何も取られずに見つけることが出来たのですが、その時に習い事をすっぽかしてしまったのでした。
どれだけ理由を言っても、母親の怒りが静まることはありませんでした。父親からは、もっと賢い人になりなさいと言われたんです。ですが、その意味があまり分からなかったのでした。
弟がテストで100点を獲ったときに、母親が賢いと褒めていたのを見て、勉強できる人間が賢い人間なんだと、僕の中で確信したました。
その時に、僕が言われた賢さと、どうも繋がらなくて納得できませんでした。
そんな弟は、とても優秀な子供でした。僕とは違って両親から期待されて育てられていました。とても、要領のいい子供だと僕の目には写っていました。僕が叱られたのをみて、弟は同じ失敗をしないようにしていました。僕が同じことで叱られるのを見てはあざ笑っていたようにも見えました。兄弟喧嘩をしたときも、いつも泣いたふりをして大人を騙し、叱られるのは兄の僕ばかりでした。そんなずる賢い子供でもありました。
大人達は、そんな弟のことをとても賢い子供だと褒めていたのでした。
賢い人間にならなくてはいけない
話は変わりますが、ひとつ僕の中で賢い人間でないといけないと誓った出来事がありました。僕が大人になった時に就職した先で酷いいじめに遭いました。本当に酷いものでした。その理由がいくら考えても、はっきりとしたことが分からなかったのです。決して僕が、態度が悪かった訳でもなく、生意気な口をきいた訳でもありません。いつも、どうして自分がこんな目に遭うのかと悔いては嘆いていました。
そんな時に、いじめていた先輩から「お前みたいに、要領が悪く、賢くないから、こんな目に遭うのだぞ。」と、言われたのでした。その言葉は、今でも忘れもしません。
そこから、僕は賢い人間であろうと無意識に思うようになっていったんだと思います。その時に、思い浮かんだのは弟のことでした。弟のように賢く成らなきゃと思ったのでした。
先ずは優秀でないといけない。勉強というものは、大人になってからは必要なくなっていたので、仕事に関することを必死に勉強するようになりました。そして、絶対に要領のいい人間にならなくちゃいけないと、いつも思考を巡らせるようになったのでした。
そうやって、努力して身につけたものがずる賢さのような気がします。
馬鹿な振りをしたり、何でもないところで先輩をよいしょしたり、いつも冷静な振りをして誤魔化したり。そして、見てみぬ振りをしたり。
自分が得をするように、自分が損をしないように。
これが、賢い人間であるテーマのように僕は自分に言い聞かせてきたんです。その根底には、賢くない人間はいじめられてしまうという思いが確かにあったんだと思います。
人生において賢さよりも大事なものがある
そんなある時に、朝通勤しているときに、道を歩いていたおばあちゃんと、自転車がぶつかっているのを目撃しました。自転車は、慌てて逃げ去るようにその場を離れていきました。その時、僕が感じてしまったことを正直に言うと、面倒なところを目撃してしまったなと思ったのでした。
自分が声をかければ、会社に遅刻してしまう。警察にあれこれ聞かれるかもしれない、それでは仕事は遅れてしまう。そのことをいちいち上司に説明しても、言い訳に捉えられるかもしれない。とても面倒なことになってしまう。そこで、僕がとった行動は、誰かが声をかけるのを待つことでした。そうだ、僕は気づかなかったことにすればいいと思ったのです。
少したったとき、痛がっているおばあちゃんに声をかけた女性がいました。その異変に気付き、幾人かの人が集まってきました。
僕は、そこから立ち去ろうとしたときに、どうしてなのか強い罪悪感に際悩まされたのです。僕がぶつかった訳ではないのに、僕が事故を起こした犯人かのような気持ちになって、その場から逃げるように会社に向かいました。
その後も、ずっとこの罪悪感が消えることはありませんでした。これは今でも消えることなく、僕の心に残り続けています。
その時から、僕は賢く生きようとする自分に疑問を持つようになりました。
僕は何よりも誠実さを失ってしまったのではないのか。
ふと、あの時の子供の頃のことを思い出しました。それまでは、一度も思い出すことはなかったのに。あの日、友達が財布をなくして困っていたのを見て、自分の用事があるのを忘れて、一緒になって懸命になって探していた自分。例え、その後にどれだけ怒られても、自分を誇らしく感じていましたから。
はたして今の自分はどうだろう。自分のことばっかりで、自分が得をするようにとか自分が損をしないようにだけを考えて生きている。賢いかもしれないけれど、誠実さを失くしている。それはどんなに賢いと言われても、自分を誇ることも出来ないし心が狭く貧しくなっていると感じました。
賢い行き方か、例え要領は悪くても誠実に心豊かにいきる行き方か。
僕はようやく答えをだしたんです。
遠回りしてもいいじゃないかって。僕は自分らしくあればいい。賢くなくて要領が悪くたっていい。だけど、自分の尊厳は守りたい。そして、心豊かでありたい。ようやく、そう思えたのでした。
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