ミュシャとの出会い~7年ぶりの再会とアイアンマン
今から七年前、六本木にある国立新美術館で開催された『ミュシャ展』に行けたことは、人生における宝物のような体験だった。
もともと西洋美術は好きな方だったが知識はまるでなかった。なんとなく見て、何となく気に入った作品を何となく覚えているという程度で、誰がいつどこでどうやって描き、それが世間でどのように評価されたのかということにかなり無頓着でいた。
物書き仲間に誘われて(実際誘ったのか誘われたのか、すでに記憶はあいまい)割と気軽にアールヌーボーとアールデコの違いも判らず、足を運んだのだが、その迫力に圧倒された。
とにかくでかく、そして訴えかけてくる何かを感じずにはいられない構図とそのち密さ、そして美しさは圧巻としか例えようがなかった。
当時、1910年のドイツ帝国を舞台にした物語を執筆していたこともあり、スラブ民族とゲルマン民族との関係性や当時の人々の暮らしと文化、そして表情を肌で感じることができたことは執筆中の作品の背景としてしっかりと僕の中に刻まれた。
その作品を何度か書き直し、今年応募したコンテストで長編初の入賞を果たしたこのタイミングで、同じくクリエーター仲間とイベントの打ち合わせをするにあたって渋谷ヒカリエで開催されている『グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ』を鑑賞するに至ったことは、なんとも運命的なものを感じてしまう。
感想を素直に言えば、なるほどこういうものかという新しい美術展示の形に対して一定の理解はしたものの、同席したクリエーター仲間とお茶をしながら、そのパフォーマンスと設定されたパラメーターに対しては物足りなさを感じたということで意見が一致した。
ミュシャ初体験の人と何度か見ている人と、絶大なるファンの人という各階層にそれぞれ気を配った結果、こじんまりとまとまってしまったように見えてしまった。
ただこれは、かなり尖った意見であって、ミュシャの魅力は十分に堪能できるし、演出をやりすぎると苦手な人は3D酔いみたいなことを起こしてしまうだろうから、多くの人が気軽に楽しめるという意味では、よくできた構成と演出だったと思う。
できることなら二部構成にして昼の部と夜の部で構成をもっとアーバンギャルドなものにしたり、音楽や演出面でもっと冒険をしたバージョンも見たかったなどと、勝手な物言いをしながら食べた遅めのランチはなかなかに美味しかった。
渋谷のヒカリエに足を運んだのは初めてではないがここでしっかりご飯を食べたり、九階から眺める景色は初体験であり、たまには人ごみの中に身を置くのもいいものであった。
僕としてはメインの展示よりもミュシャの工房に関する展示やミュシャに影響を受けたアートの紹介がなかなか面白かった。
工房での一枚の写真をよく見ると結構東洋の美術品らしきものが並んでいる。ミュシャの背後には扇子が飾ってあるし、右側の花瓶らしきものにも日本のものらしき絵が確認できる。
何よりうれしかったのはアメコミのカバーアートが掃海されていたことだ。これはNOVAというマーベルヒーローの368号でアールヌーボー調にアイアンマンが描かれている。NOVAというキャラクターはまだ映像化はされていなかったと思うが、簡単に言うと銀河パトロールとか宇宙警察とか蒸着変身する日本の特撮ヒーローみたいなキャラクターだ。
カバーアートアーチストについて詳しくは知らないが、まさかミュシャ展でアイアンマンに会えるとは思ってもみなかった。
他にもロードス島戦記のカバーアートや天野喜孝氏の作品などが影響を受けたアーチストとして紹介されていた。
クリエーター仲間とは一通り打合せをしたのちに表参道のイルミネーションを見てコーヒーを飲んで温まったあと、それぞれ帰宅した。
来年に向けていい打合せができた。そして小さな刺激をいろいろ見つけられたのもうれしかった。特にミュシャは脳内にフォトショップがインストールされていて、脳内の画像を張り合わせ、つなぎ合わせ、加工して作品を制作していたのだということが一つの発見であり、彼が現代アートの先駆者であったことは、それが人の手によるのか、データの加工であるかの違いしかないというのが面白かったですね。
最後にミュシャの言葉で締めくくります。
今度はどんな形で再会できるのか楽しみです。