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小説投稿サイトを整理する日記⑤ワクワクとげんなりの読み返しの繰り返し

 10年以上、こうして物語を紡いでいる。
 書き始めの頃はいろいろと稚拙な部分や文章の書き方、作法に問題があるままに書き続け、経験を積んである程度してくると、過去に書いた直すべきところについて、考えなければならない。

 自分の失敗に向き合うには途方もない労力が必要だ。正直誰かに変わってもらいたいと思うこともある。自分の場合は特に短編、中長編を書き散らかし、いろいろな投稿サイトにアップしているのもそうなのだが、手元の元データもあまり整理ができていない。

 特に短編は厄介で、初期に書いたものは投稿サイトやコンテストに合わせて書き直したり、ページ区切りを変えたりしているバージョンがいくつかあり、どれが最新というのがいささかあやふやになることがある。

 これらの問題を解決するためにも今回の引っ越しというのはとても重要で、ずっとほったらかしにしていた懸案に対して物量的にはうんざりするし、書き直しをする際に構造的な問題を見つけたりするとげんなりする。
 このげんなりというのは、勢いで書き散らかしていた古いものほど紐解いて整理するのに時間がかかるし、かといって、まるっきり没にする気にもなれない。
 自分で産んだ作品たちなのだから、自分で面倒を見るしかないのだ。

 しかしそのおかげで、このげんなりと同じくらいにわくわくすることがあり。それは、自分でもすっかり書いたことを忘れていた作品がいくつかあり、そこで書かれている内容が今現在書いている、或いはその少し前に書いた作品を通じてテーマ性や引用しているエピソードにつながりを発見することがあることだ。

 それこそ自画自賛かという話ではあるが、改めて自分が何者であるのか、なぜ物語を書いているのかを確認することができるのはわくわくとしか言いようがない。
 だからこそ新旧の作品の中から季節というテーマで抽出した今回の短編集『四季狂い』を編集する作業は大きな意味を持つように思える。

 最近サイエンス系のYOU TUBE動画や記事を読んで新しく刺激的な知識に触れている。それをどうにか自分の書いている作品につなげたいなどと思っていたところに、実は何年も前に書いた作品に非常に近しいアプローチや疑問やアンチテーゼなどがちりばめられており、今ならもっと深い考察と見解を持って書き直すことができるというのは、素晴らしいことだと思う。

 何もかもがつながっている

 そう考えたときにこのげんなりするような作業の先にとてつもなく面白いことが待っているような予感がしてわくわくしてしまうのである。

 そしてもう一つ、わくわくしてしまうのは自分の書いた作品を読み直してみるとほとんどの場合、面白いと思いながら、つまりはわくわくしながらストーリーやキャラクターのセリフ、情景描写に出会えることである。

 これでもしも小説の中身やキャラクターのセリフにげんなりするようならば、書き続けることは不可能だろう。まず自分が書いた作品に対して自分が一番のファンであること。
 ページビュー数や言い値の数も大事ではあるけれども、僕はめけめけという物書きの書く文章を一番最初に読めて尚且つ、それが変化していくところを見ることができる。そこに付き合って意見を言いながらキーボードを叩いている。

 それがすこぶる愉しい

 なんだか自分あてに書いたファンコメントのようになってしまったが、たまにはこういうのもいいだろう。

 自分で自分をほめて何が悪い

 ちゃんとダメなところはダメだと指摘して修正しているのだから、いつか、きっと、これこそ自分の名刺代わりという作品に仕上がっていくのだと思う。
 もちろん客観的な評価は重要でコンテストに応募し続けるのもそうした客観性や戦略について向き合うことでもあるのだから。

 書き散らかしたあれこれを、しっかりとまとめていこう!

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