パリ・オリンピック卓球女子シングル~あと一歩という果てしない距離
あと一歩届かず。
これは勝負事、ことスポーツにおいては常套句でありながそのあと一歩がどれだけの距離であるのかが語られることは少ないのではないか。
7月26日から開催された2024年パリ・オリンピック。毎日熱戦が繰り広げられる中、惨敗、惜敗、辛勝、快勝、圧勝という文字が紙面・画面に踊る中、人はその結果のみに注目しがちであるが、アスリートたちがこの場に立つまでにどれだけの汗を流してきたのか、そのあと一歩、追いつくのか、追い越すのか、突き放すのかにスポーツは際限なく進歩をしてきているのに対して、それに報いるだけの報じる側の言葉の進化はすこぶる乏しい。
近年では映像技術の進化によってもたらされる臨場感や誤審を防ぐためのさまざまな技術がときにその一歩のとてつもない意味を我々観衆に伝えてくれる。それはかつて映像ではなくラジオや新聞等の紙媒体でしか届かなかった頃の言葉の重要性にすっかり影を落としてしまっているのではないかと危惧するような人間は、もはや古い人種ということになるのかもしれない。
でもだからこそ、僕はこうした場にしっかりとした言葉で残すこと、伝えることに尽力したいと思う。
その日、近所のカラオケ居酒屋は人もまばらでカラオケを歌う人も少なく、10時ころに客は僕一人となってしまった。普通ならそこでお開きにするのか、マスターとママとの会話を楽しみながらしっぽりと飲み続けるかなのだが、その日テレビには卓球女子準々決勝 日本代表平野美宇と韓国代表申裕斌(シン・ユビン)の試合が放送されていた。(録画だったと思う)
テレビをつけたとき、すでにゲームは0対3という絶望的な状況であった。正直卓球に関してそれほど詳しいわけではないが、伊藤美誠との女子ダブルスで活躍していたこと(最年少記録を持っていること)、リオ五輪では補欠だったこと、そして日本代表最終選考会の決勝で早田ひなを破り優勝し代表権を獲得して東京オリンピック出場し、伊藤美誠、石川佳純らと女子団体で銀メダルを獲得したのは記憶に新しい。
そして同時に、彼女ほど若くしてあと一歩という言葉に苦しんだ選手もいないだろうということも知っていた。
「みうちゃん、がんばれー!」小柄なママはすでにエプロンを外してカウンターに座り観戦モードに入っていた。「平野美宇はすごい頑張り屋だからな。このままじゃ終わらないだろう」マスターはサービスのかわきものを僕に差し出しながらリオで代表を落選した話をしながら観戦する。
平野美宇のプレイスタイルがどういうものであるかまでは知らないものの対峙する韓国のシン・ユビン選手の醸し出す雰囲気にどことなく盟友、伊藤美誠を観てしまい僕は複雑な気分で二人の対戦を見守っていた。正直なことを言えば、シン・ユビン選手こそ中国選手に勝てるかもしれないなどと思ってしまうほど、彼女の卓球は魅力的なものに見えた。
ここまで第1セット4-11、第2セット7-11、第3セット5-11と自分の卓球をさせてもらえない平野美宇は精彩を欠いているというよりも相手に対するやりにくさに手こずっている、勢いを受けきれずにいるという印象がリプレイ映像で流れていたが、がけっぷちの第4セットに臨む平野選手の表情には何かをつかんだような印象を受けていた。序盤、しっかりとリードを奪い、途中追い上げられながらも、第4セットを11-7で首の皮一枚つなげた平野選手に対して、やはり簡単にはいかないなというシン・ユビン選手の表情が印象的であり、スポーツにおいてここから逆転を許してしまう流れがあることを僕は知っていたし、期待できるゲーム内容になってきた。
そしてその予想通りサーブからの攻めのシナリオみたいなものがプレイの随所に見えてきた。これまであまり見られなかったラリーが続く。第5セット11-8と追いすがる相手をぐっと引き離す流れ。それは韓国陣営がおそらく第6セットで決めないと逆に苦しくなると勝負をかけてきた相手に対して11-9というここまで最も拮抗したセットカウントまでもつれ込みながらも平野選手が貫録さえ感じるほどに相手を飲み込むような雰囲気でゲームを撮ったことで会場のヴォルテージ、そしてたった3人の観客しかいないカラオケ居酒屋もスポーツバーさながらの盛り上がりを見せた。
「これ行けるんじゃないか」「やばい、終わるまで席を立てない」などと酒を酌み交わしながら固唾をのんで最終セットを迎える。
印象的だったのはコーチが選手に対してアドバイス、指示をしてそれを頷きながらコートに向かう韓国陣営に対して、終始日本陣営は平野選手がコーチに対して何かを話し、コーチが頷き、選手を送り出すという真逆のスタイルだったことだ。
平野選手はおそらく、その場にいる誰よりもしっかりと現状を分析し、勝利のために必要なことを、針の穴を通すような小さなチャンスをいかにしてつかむのかということが見えていたのではないだろうか。
最終ゲーム、メダルへの挑戦権をかけた両者の意地は第6セットをもはるかにしのぐ壮絶なもの、死闘となった。激しいラリーの度に歓声が沸く。小さなミスに大きなため息。選手も一喜一憂する余裕もなく、目の前の敵を倒すことだけに集中している様子は、今大会でもベストバウトと呼べる好勝負となった。
第7セットはそれまでの6セットを集約したようなゲームの流れとなった。序盤シン・ユビン選手が主導権を握る。それを平野選手が追いつき、マッチポイントを迎える。しかしこのとき僕は一抹の不安を覚えた。
それは彼女にまつわる「あと一歩」という呪縛である。このゲーム全体を見たとき、それは彼女の表情に見え隠れしていた。0-3とリードされたゲームを3-3まで追いつくイメージは明確に彼女の中にあったように思える。そして最終ゲーム、リードされながらも対ブレイクに持ち込むイメージも明確に彼女の中にあったのだろう。
しかし先にマッチポイントを迎えた平野選手の表情は少しこわばって見えた。試合後のインタビューで平野選手はこう語っている。
「いつもだったら(気持ちが)折れちゃっていたと思う。『このままじゃ負けられない』と思って頑張ったけれど、勝てなくて悔しいです」
『このままじゃ負けられない』というモチベーションでマッチポイントを迎えた彼女の中にはその先の『ここで勝ってその先に進み、最高のメダルを取る』という目標を見失ってしまったのではないだろうか。もちろん試合開始前はその気持ちで挑んだのだと思う。しかしそれが思うようにいかず、このままでは負けられないという意地が彼女に大きな力を与えた。
しかしそれは同時に自分があと1ポイントで勝利を掴めるという景色で自分は何をすべきかというモチベーションの切り替えを鈍らせ、よく言えば慎重、悪く言えば消極的な攻めを相手に食い止められ、そしてシン・ユビン選手にその先の道を明け渡すことになってしまったのではないだろうか。
『あと一歩』で辛勝をなめてきた彼女は、あと一歩、相手をどう突き放すかという経験もしてきたのだろうが、平野選手に実力のすべてを出させないほどにシン・ユビン選手の積極的な攻め、そしてまだ見ぬ『あと一歩』20年ぶりになる韓国のシングルメダルに向けての強い意志に根負けした形になったのではないだろうか。
その一歩は計り知れない。わずか数センチ、1ミリ単位の跳躍の差かもしれないが、卓球台の上で行われる攻防は、そうしたミリ単位の積み重ねによって相手に追いつくことのできない地平線の向こう側、未踏の地、わずか一人しかたどり着けない金メダルへの距離となるのだろう。
準決勝、シン・ユビン選手は東京五輪2冠の世界ランキング4位、卓球王国、中国の陳夢と対戦し、0-4で完敗している。つまりあの熱戦で勝負を分けたあと一歩ですら、世界という扉の玄関までもたどり着けないのだということになる。
カラオケ居酒屋で観戦していた3人は、負けた平野選手にエールの拍手をして店じまいした。「すごかったねぇ」「いいものを観させてもらったよ」「惜しかったね」「あと一歩だったね」
僕らにはその一歩がいかなるものなのかはわからない。どうすれば届くのか、そして追いつき、追い越せるのか。そして選手たちの活躍の中に自分たちを投影して問う。あと一歩、ほんのあともう一歩がどうしても届かないというとろまで来ることさえ、いかにままならないか。だからこそそれを見せてくれるオリンピックの選手たちの姿に感動し、国境を越えて、国という枠を超えて彼らを応援したくなる。
次はシン・ユビン選手は日本のエース早田ひな選手とメダルをかけて対戦する。準決勝、中国孫穎莎と対戦するも左腕にテーピングを巻いて出場した真田ひな選手は明らかに精彩を欠いていた。怪我の状態が心配ではあるが、双方、悔いのない試合をしてほしい。
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