【人の意識とは】イカのニューロン数は猫の2倍
人の心のメカニズムを解く試みは、どうやら騒擾以上に奥が深く、そして膨大な知識と柔軟な理解力と思考が必要であることは、恐ろしく面白く、難儀なことである。
意識とは何か。人の脳=有機物の集合体が単に物質としての役割にとどまらず、意識というエネルギーなのか運動なのかそうした概念を超えた存在であるのかもまったくの謎――すなわち仮説の立てようのない事象であるがゆえに、人は「心」という言葉にそれらの疑念を放り込んで直視することを意識的或いは無意識的に避けてきた節がある。前者は神を創造し、意識の問題を超自然的な主にゆだね、生と死と魂を神話として編集しその時代に見合った宗教の在り方を演出してきたのではないだろうか。
これは積極的な生命の階層化によって、意識という存在が人たるものが特別であるとすることで意識ある人が死と向かい合うための盾となり、社会的共同体が大所帯になるために大いに貢献し、同時に異物を排除しようというホモサピエンス特有の業を理性的に制御する社会的装置として現在も機能し続けていると考える。
また無意識な部分ではシャーマニズムに代表されるような存在するものにはすべて意味があり、人とは違う形をした意識のようなものが万物に宿ると考え、そこで思考を停止させる。
心や意識は人だけにあるのかという問いについては、哺乳類に代表される脊椎動物には人と通じ合うことのできる個体、集合が存在することは日常的に観測が可能な事実である。
人のそばで生きる犬や猫は知らないものを警戒し、求愛とも思えるような行動を飼い主やその家族に対して示すことがある。それが動物的本能であり、人の意識とは決定的に分けられるものであるという考えもあるだろうが、それこそ意識的な「意識」に対する階層化に他ならない。
しかしまぁ、猫の神がごとく振る舞いは愛らしい。
では昆虫やイカやクラゲのような無脊椎動物には意識や心と呼べるようなものは存在しないのであろうか。そもそもイカに知性があるかと問われれば多くの人がそれを否定することと思う。
しかし最近の研究ではイカの脳は犬の脳に匹敵するものであるという研究結果が存在する。
イカやタコと脊椎動物との大きな違いは構造そのものである。イカは心臓が3つあり、タコの脳は9のつ存在する。
タコの足にはそれぞれ脳と呼べる組織が存在し、それぞれの足が独立して動けるようになっている。ある意味ドラマーをオクトパスとたとえるのはいいえて妙だと言えるかもしれない。
2億年後の地球を描いた「フューチャー・イズ・ワイルド」では強大なイカが陸の支配者のようにふるまっている。これは2002年にイギリスで製作されたテレビ番組であるが、人型でなく、脊椎動物でもない生き物に知性があるというのは、人間にとって歓迎すべき事実とは言い難いと感じる人も少なくないのではないだろうか。
筆者が思うに、ホモサピエンスが人類の中で生き残って現在があるのは、そのようなわかり方をするからこそではないかと考える。
つまり知性とは関係なく、人の意識とは元来攻撃的なものなのかもしれない。
北海道大学によれば、世界最小の頭足類ヒメイカの脳の三次元モデルを作製することで幼若個体の脳の体積は、孵化個体の脳体積の約60倍になっていることが分かったという。
特に、記憶学習に関わるとされるVertical Lobeが成長に伴って非常に良く発達し、これまで報告されてきた頭足類の中で最大であることが判明したという。つまり生物の個体の大きさや構造が知性の優劣に関係ないということになる。
人には心がある。それは否定できない事実である。しかしこの世界、この宇宙のすべてのものが量子力学の上に成り立ち、人だけが特別に意識を持っているというのは、どうにも不公平、或いは不透明で怪しい考えであることが容易に伺える。
素粒子の集合体としての個体差、それが有機物にしろ無機物にしろ、なぜそこに知性や意識、そして記憶というものが存在するのか。その事実にしっかりと『意識』を向けることが、この先の人類がどのような未来を迎えるのかに大きな影響、つまりは分岐と真逆の帰路を迎えるのではないかと筆者は憂う。
昨今、イカが高騰し、食卓に並ぶ機会もめっきり減ったこの日本は、古くからイカやタコを食し、その生態を利用して漁をし、釣りを楽しんできた。イカは群れを成し、タコは孤独を好む。
それはもう、立派な個性であり、そこに知性があるのであれば意識も存在し、ヒトと他の生物との意識にはどのような違いがあるのであろうか。
タコは長期記憶と短期記 憶の両方を持っているだけでなく、視覚と触覚の 両方の情報のための学習システムを有している。それ餌を捕るための 狩りの必要性によるものだと考えられる。
そこにはヒトとは違う構造の「意識」が存在しているのではないだろうか。同じようにホモサピエンスである我々人類もまた、害獣から身を守り、外的から身を守るために、その種を無害になるまで追い込み、時に絶滅させてきた。
その「意識」とは決しておぞましいものではあってほしくない。だからこそ、人には神が必要だったのかもしれない。
しかし科学は宇宙の謎を解き明かし、本当の意味での神の存在に近づこうとしている。だからこそ、「意識」「記憶」「知性」について、もっと理解を深める必要があるように思える。