スタミナバナナnote

スタミナバナナ

 今、私が抱えている問題はこれまでになく深刻なものだった。

 その深刻さをお伝えするのに、私は労を一切惜しまないし、また、そうしなければ、この難題について、多くの人の理解を得ることはできないだろう。

 問題の解決に当たり、私は臨機応変に対応することが求められる。そして高度な柔軟性を維持し、その都度対応しなければならないのである。
 それらを鑑み、問題提起を差せてもらえば、"女と言うのはかくも面倒なものなのか"という、男子にとって永遠の命題であり、それは妻を得て、年ごろになるまで娘を育てた私に出さえ解くことの叶わない問題。
 いうなればポワンカレ予想のような数学の難題のように、どこかの誰かが証明をしたと言われても腑に落ちない、気持ちの悪い存在――つまりは知っていても理解の及ばない代物なのである。

「ご注文はお決まりですか?」
 うっかり何も注文をせずに考え事をしてしまった。
「ハンバーグのセットを、ドリンクバー付きで」
 ライスかパンかと問われれば、もちろんライスで、私は湯気立つあつあつのライスにさっと塩を掛けて食べるのが好きなのだがが、絶対に女子の前でそれはしないことにしている。

 そう、うちの母親が良く父を叱っていた。
"ご飯に塩を掛けないでよ。あなた塩分取り過ぎよ"
"なんでもいきなり醤油をかけないでよね。ちゃんと味付けしてあるんだから"
"カレーのスプーンをコップの水につけるの、やめてよね。みっともないったら、ありゃしない"

 これが母親の小言であったうちは、父はまるで聞く耳を持たなかったが、妹が二十歳を過ぎたころから母と同調するようになってからは、母の前でしかやらなくなった。

 さすがに2対1では分が悪いのか。

 私はそんな父を見て育ったおかげで、女性から怪訝な目で見られることのない人生を送ることができている。しかしその副産物として、女性から面倒な相談事を持ち込まれることが多く、かえって厄介な問題を抱えることとなったのかもしれない。

 嗚呼、オヤジ、あなたこそ、愚者を演じる賢者だったのかもしれない。

「最近さぁ、胃が小さくなったみたいで、ぜんぜんご飯食べられないのよねぇ」
 若い女性の話し声が聞こえる。
 聞きたくなくても耳に入る位置関係なのだから、私が聞き耳を立てているわけではない。
「なんだっけ……、そうそうバナナダイエット? うまくいっているんだ」
 私の席の真後ろに若い女性の二人組がいる。
 腕時計の針は6時半を差している。
 私は昼飯を食べ損ね、ようやくこの時間に落ち着いた。家に帰ればご飯は用意されているが、まだ少し、仕事が残っている。

 彼女たちは私より少し前に席に着いたらしく、まだテーブルの上にはフリードリンクの飲み物だけであった。
「ねぇ、ねぇ、お昼何食べてきたの?」
 バナナではないほうが、尋ねるとバナナは明快に答える。
「牛丼」
 "ダイエット""牛丼"という言葉の響きが、不可解なアンサンブルを奏でているのだが、ダイエットをしていない彼女にとっては気にならないらしかった。
「へぇ、わたしスタミナどんぶり食べちゃった」

 たまに女子社員と昼飯を食べる機会があるが、何を食べたいかと聞いたら、意外にも牛丼が食べたいと言ったことを思い出した。
「だって、私、1人でラーメン食べたり、どんぶり食べたりとか、やっぱりできなくて」

 その"やっぱり"は、さっぱり理解できなかったが、確かにそのような店で、女子一人でご飯を食べている姿はあまり目にすることはないと思い、女子は"そういうもの"なのだと理解している。
 この二人は昼間、別行動でそれぞれどんぶり飯を食べている。
 一人で食べられる系なのか、或いはうちの女子社員のように誰かと一緒に行ったのだろう。
 そんなことを考えているうちに、彼女たちの注文したパスタをそれぞれ一つ、ポテトフライが一つ、パンケーキが一つ配膳された。
 そしてその店員が、私がまだ注文をしていないことに気付き、声をかけてくれなければ、私の注文はもう少し遅くなっていただろう。

 私は不精なので、席が空いていれば、できるだけドリンクバーの近くに座るようにしている。人の往来は気にならいという点では彼女たちも同じなようで、バナナはわたしと背中合わせ、スタミナはその迎え側に座っている。二人は二十歳前後と思われる口調とノリと様相であり、パッと目にも良く似通った二人だった。
 それは無個性ということではなく、恐らくは普段は人に見せないようなリラックスした状態――女同士の気兼ねのない関係が生み出す同調と同化であると、私は考えた。
 或いは理解できないものは、みな、同じに見えるということでもいい。絵心のない私にとって、抽象画はどれも価値が解らないし、どんなに名演だと言われてもジャズは全部同じに気怠く聴こえるのと同じである。

 要は、好きではないのだ
 
 "おいしいね"とか"やっぱりリーズナブルだよね"とか、そんな会話が進むなか、食べ進みも順調なようで、私の目の前にハンバーグセットが置かれる頃には、パスタを食べ終えたらしく、そのうえでどうにも食べたりないという話になっていた。
「どうしようかなぁ……、ねぇ、から揚げかぁ、このソーセージの盛り合わせ注文しちゃおうか」
 居酒屋ではよくある展開なのだろうが、そもそもバナナはダイエットが成功し、胃が小さくなったのではなかったか。
「でもさぁ、から揚げってご飯のおかずって感じするけど、ソーセージってちょっとちがくない?」
「ああ、わかる、わかる」
 スタミナ丼を食べる女子にとっては、ソーセージはどんぶりの上に乗らないものらしく、それについてバナナも合意をしたらしいが、問題はそこではないだろうと、私はハンバーグステーキに付け合せられたコーンをフォークですくいながら考えていた。

 "問題はご飯ではなく、パンケーキだろう"

 その提案は決して受け入れられないことを私は知っている。
 なぜなら私の抱えている難題というのは、まさにそのことであって、ことの本質はこっちだろうと私は言うのであるが、彼女たちにしてみると、目の前にあるパンケーキよりも、物足りなさを埋めるのにはから揚げかウインナーのような肉が必用であり、ご飯と一緒にたべたいという欲求こそが、不満のタネだと言っているのである

「どうしようかなぁ、デザートも食べたいけど……ダイエット中だから我慢しよう」
 バナナはそういうと席を立ちあがり、ドリンクバーでコーヒーをカップに注いだ。スタミナも席を立ち、アイスティーを入れている。
「砂糖とミルクいる?」
 バナナよりも先にくみ終えたスタミナが尋ねると、バナナはありがとうと言いながら"砂糖2本とミルク三つでお願い"と答えた。

 甘い物を注文しない事と甘い物を我慢することは同義であるが、砂糖やミルクをコーヒーに入れることは違うということなのか。

 "問題は注文ではなく、摂取だろう"

 その提案は決して受け入れられないことを私は知っている。
 なぜなら私の抱えている難題というのは、まさにそのことであって、ことの本質はこっちだろうと私は言うのであるが、彼女たちにしてみると、注文することを我慢することと、摂取することを控えることは違うのである。

 甘い物で落ち着いたのか、ようやく食べ物以外の話になったのはいいが、それすらも私には到底納得のできるものではなかった。
「私ね、将来は栄養士さんになりたいなぁって、思っているの」

 将来、何になりたいかという"進路"の話は大事だ。
 しかし栄養士を目指すのであれば、まず、目の前の問題を解決してみようとは思わないのか。

 "お友達のダイエットや甘い物の過剰な摂取について、スタミナは何か言うべきことがあるのではないか"

 その提案は決して受け入れられないことを私は知っている。
 女同士というものは、そういうものなのだ。
 改善や改革はすることに意味があって、効果はどうでもいいというくらいに結果に対して無頓着でいられる"謎の生き物"なのだ。

 "栄養士になりたい"ということと、目の前で友達が"問題のある食事のとり方をしていることを正す行為"は、まるで関係のない事なのである。
 もちろん彼女が栄養士に無事成れたとしたら、そんなことはないのかもしれない。いや、それでも彼女は目の前の暴挙をとめることは、しないように思えて仕方がない。

 なぜなら、バナナも目の前の友達が将来何になりたいかという夢の話よりも、昨日スタミナが食べたマカロンが美味しかったという話に興味があるからである。

「マカロンやばいよね」
「そうだよね」

 そして私はどうしようもなく濃いコーヒーが飲みたくなり、エスプレッソを入れに席を立つ。
「ねぇ、そういえば、今日、まだ甘い物、注文していないよね」
「そうだよねぇ。珍しよねぇ」
 エスプレッソコーヒーがカップに落ちるのを私は恨めしく眺めている。

「でもさぁ、甘い物、我慢しているんでしょう?」
 やっと、スタミナと私の意見があった。
「そうなのよねぇ、でもねぇ、私、ぜんぜん自分の発言に責任持てていないのよねぇ」

 謎の日本語が謎の思考回路を駆け巡り、私の前に立ちはだかる。

 バナナの発言に対する責任の所在は一体全体どこに帰属するものなのか、裁判で争う覚悟はわたしにはない。
「すいません、イチゴパフェ下さい」

 バナナの我慢はイチゴに負けたらしい。

 今度はバナナから切実な話が切り出された。
 それは交通費の話で、どうやらここまで来るのに片道450円以上かかるらしい。
 彼女は埼玉から来ていて、往復すると馬鹿にならない金額だという。
 そこに彼女が我慢を重ねて、それでも結局注文することになったイチゴパフェが運ばれてきた。
 手元のメニューで確認したところ、税抜590円だった。

 男性的経済価値と女性的経済価値について議論をする気は毛頭ないが、"好きにすればいい"と、私はただ、それだけが言いたかった。

 エスプレッソの香りが私を落ち着かせる。

 女子二人は、パンケーキとイチゴパフェを食べながら超人気ラーメン店に並んで食べたという自分たちを"男子力高くねー?"と笑いあっている。
 なるほど。
 ここにきて一つの疑問は解消された。
 彼女たちは昼間、それぞれ一人でどんぶり飯を食ったに違いがなかった。私は胸のつかえが一つとれたような気持にはならなかったが、自分の正しさについては、少しだけ自信が持てた。

 パンケーキとイチゴパフェをシェアしながら"でも、チョコブラウニーが好き"とスタミナ言い"わかるー、あたいら、女子力高くねー?"と誉めあう二人は、今、この世界でもっとも強い存在に思えて仕方がなかった。

"ちゅちゅ~、ちゅ~、ずずず~"
と音を立てながらイチゴパフェをほおばり、"イチゴパフェ甘い"といいながら砂糖2、ミルク3のコーヒーをお替りする。

 さすがに甘いのか"あ~、生クリーム多いなぁ~、コンビニでフライドチキン食べたい"とのたまい、とうとう生クリームを残し、そんな自分を下品だとまた責め始めた。

 そして本当は生クリームが好きじゃないと語り、マカロンが好きと話は尽きないと思われたが、その果てに"あったかい家庭とか築きたい"とこぼしだし、わかる、わかると納得したのか、満足したのか、それとも落としどころを見つけたのか、二人は席を立った。

 彼女たちがそのような顔を、男子の前で見せることはあるのだろうか?
 女同士というのは、男にはわからない距離感や関係性があるのだとはわかるが、できるだけ近づきたくはないものだ。
 しかし、こればかりは、どうしようもない。
 私は私の抱えている、女性同士のトラブルについて思いを馳せ、そして何か連絡は入っていないかとスマフォを確認する。

"夕飯どうするの?"
 妻からである。
"なんか甘い物買ってきてよ"
 うんざりだと思いながら、私は返信する。
"マカロンでいいかい?"
 返信は文字ではなく、アニメのキャラクターが"よろしく!"と叫んでいるスタンプが送られてきた。

”お父さん、聴いて! お母さんったら、お父さんからもらったプリン、勝手に食べちゃったのよ!”
 高校生の娘はダイエット中だが、妻には内緒で私の分のプリンを分けてあげたのだった。

 妻にしてみれば、パパの残したデザートは、自分のものだという結婚前からの掟に従ったまでであり、なんら悪気はない。
 妻にはマカロンを、去年の夏、バナナダイエットに失敗した娘には何を買って帰るか。

 今は何より、それが問題だ。

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