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Photo by
uzuhiko111
父との最期の時間・・・?
(前の記事)
グループホームに入るも
褥瘡がひどく介護医療院に入っていた父
母からの目線で見ると
適切な治療やケアをしてもらえず
父が過酷な状態にあると思い
家に帰ることを決意した
長年の父の介護の末
たくさんの圧迫骨折を負った母に
母の主治医の先生やケアマネさん、周りの人は
父を家に連れて帰ることを反対するも
母の決意は固かった
預かってくれている介護医療院の方も母を心配するも
褥瘡がひどく、いつ感染症を引き起こしても不思議でない状態
最期の時を家で迎えるのもいいかもしれないと
ターミナルケアで家に帰ることになった
最期の時まで数日かなと思い
私も愛知から広島に向かった
家に帰った父は
みるみる顔色も良くなり
食欲も出て痛みを大声で訴えるようになり
息を吹き返したようだった
父の生命力の力と願望実現に脱帽です
父は家に帰りたかった
母は父に穏やかに施設で暮らしてほしいと願った
でも、過酷な施設にいる父をそのまま逝かせるわけにはいかない
家に連れて帰ってあげたい
それは自分のいのちをかけてでも実現したいことだった
二人の願望がかなったとき
父も母もとてもいい顔をしていた
映画などならここで幕を閉じるのかもしれないけど
現実は、まだ父は母の介護の元、生きている
周りのたくさんの友人も父の回復や元気になることを望んでいる
私の願いは
父が安らかに最期を迎え
母も罪悪感を持たず、心地よくお見送りができ
母は長年の介護を終え、自分自身の時間を生きてもらうこと
でも、そうなっていない今
両親ではなく
私が今の状況を創っているんじゃないかと感じてた
昨日、長年の友人とお互いの親について話していて
私が今を創っているものが見えた気がした