降霊の箱庭 ~第六話~
<前話>
狭い場所に閉じ込められていた。
冷たい。
鉄製の天井と壁と床に囲まれた空間は、牢獄そのものだ。
暗い。
空気窓こそ開いているが、そこから漏れ来る光はあまりに心許ない。
身じろぎすると、一緒に閉じ込められたバケツや箒が、がたんと背後の壁に当たった。
――出して!
空気窓に口を付けるようにして、叫ぶ。
――出してよ!
扉に体当たりするが、踏ん張りの利かないスペースでは大した力も出ない。
早く、早く出なければ。
そして探さなければ。
僕の、大切なものを。
――出してぇっ!
苦しい。
濡れた雑巾の臭いが鼻を突く。動くたび埃が口に入る。
苦しい。悲しい。どうして。
出して。
返して。
帰して。
僕の、大切な……。
「おい、達季」
朝の教室。
ちょうど登校し、机の中に教科書類を収めていた時。
ずかずかと一年五組に入ってきた蓮によって、達季は突然連れ出された。
「え、わ、割垣先輩!? 何です急に!」
「いいからさっさと来い」
いきなり呼び捨てですか? 他学年の教室は立入禁止じゃないんですか? クラス中の注目を集めて恥ずかしいんですが? 言いたいことは色々あったが、蓮の真剣かつ有無を言わせぬ雰囲気に押されて、達季は早足で後を追うしかなかった。
連れてこられたのは図書準備室。
歩いてきた勢いのまま、蓮はその扉を開けて中に踏み入れた。
「いつになく真面目な顔だね割垣君。普段からそれでいたまえよ」
中からは皮肉な調子の声。
昨日と同じく、まどかが革張りの回転椅子に腰掛けていた。揶揄たっぷりの台詞に反して、こちらも表情は真剣そのものだ。
「えっと……これは、どういう集まりで?」
続けて入室しながら、達季はおずおずと問い掛けた。
「昨日の晩、学校から二件の緊急連絡があっただろ?」
制服のポケットからスマートフォンを取り出しながら、蓮が言う。
「一件目は『訃報』。一年四組の遠藤君が亡くなりました、って内容だ。んで二件目が『注意喚起』。こっくりさんの実行、及び四階の空き教室への入室を固く禁じる、ってな」
ぎゅ、とスマホを持つ手が強く握り締められる。
「俺と俺の妹が、この二件に関わったんだ」
「!」
達季とまどかは、目を見張った。
そこからしばし、蓮の説明が続いた。
妹・割垣華のクラスメイトが、大切な物を紛失したこと。追い詰められたその彼が、犯人だと目星を付けていた人物……メールに出てきた遠藤という生徒を、件の空き教室でこっくりさんを通じて呪ったこと。だがそれは一部誤解だったこと。慌ててグラウンドに出てみると、遠藤が心臓発作で本当に死んでいたこと。
「面倒なことになったんで、俺と華はさっさと逃げた。呪った当人は、ボクのせいだボクのせいだってブツブツ呟いてたから、教師にとっ捕まってたけどな」
語り終えると、蓮は腰掛けているソファの背もたれを拳で叩いた。
クソが、と吐き捨て、乱暴に前髪をかき上げる。
「……それで、君は私たちにどうしてほしいのかね?」
まどかが冷静に問う。
「実はここに関係者がいましたって、先生方に突き出してほしいと?」
「違う。協力してほしいんだ」
蓮は言った。
「俺は霊だの呪いだの信じてねぇし、馬鹿らしいと思ってる。それは今も変わらねぇ。けどな、華が少しでも関わったんなら話は別なんだよ」
言葉の強さに、何も知らない達季はやや戸惑った。
その視線に気付いた蓮は、僅かに唇を噛む。
「大事な妹なんだ。俺にとっては何より、な。だから危害を加えるような奴は許せねぇ。それが人であろうと霊であろうとだ」
だからよ、とまどかに向き直る蓮。
「だから委員長、教えてくれ。あれは何だ?」
「…………」
「この学校で今、何が起きてる? 半分関わった俺と華も……危険なのか?」
「…………」
まどかは静かに腕を組み、ふぅと一つ息をついた。
「おそらく君と妹さんには、差し迫ったものはないだろうね」
「それは確約っスか?」
「分からないよ。超常現象にルールなんて求めちゃいけない。でも考えてみたまえ、最初にこっくりさんを行った一年生はその場で死に、昨日の遠藤という被害者も、君がグラウンドに出る頃には倒れていたんだろう? ならばこのこっくりさんには『即時性』『即効性』があると見るのが自然だ。一晩経って君と妹さんに何も起きていないなら、ひとまず安全と考えるべきじゃないかな」
まどかの考察を聞いた途端、先程まで張り詰めていた蓮の雰囲気がふっと穏やかになった。
「……何も起きてないっス。全くいつも通りの夜でしたよ。せいぜい俺が寝れなかったくらいっスね」
達季はここでようやく、蓮の秀麗な目の下に、うっすら隈ができていることに気付いた。
「ただ、この学校で起きている事態は、明らかに悪化したと言わざるを得ないね」
しかし。
続くまどかの声に、緩んでいた達季と蓮の表情は再び強張った。
「妹さんのクラスメイト……関といったかな? とんでもないことをしでかしたよ。これでこっくりさんに、強力な属性が付与されてしまった」
「属性?」
「呪いを願い、しかもそれが叶えられてしまった。こうなってはもう『降霊術』じゃない。『呪術』、いやその上を行く『呪詛』だ」
厳しい顔で言うまどかの言葉は難しすぎて、達季と蓮には理解できない。
「あの、もう少し分かりやすく……」
達季がおずおずと問い掛けた時だった。
「こらーっ!」
スパーン! と大きな音を立てて、図書準備室の扉が開かれた。
中にいた三人全員飛び上がった。
「朝っぱらから何をしているのかなこの不良生徒たちは!」
立っていたのは、一人の女性教師。
歳は二十代半ばから三十代くらい。明るい茶色に染めた髪を、頭頂部でシニヨンにしている。赤縁眼鏡が特徴的だ。小脇には音楽の教科書が携えられている。
名前は知らないが、見覚えはある。昨日の図書委員会をまどかに丸投げして去っていった、あの妙にノリの軽い教師だった。
「特に倉闇サン。委員長が率先して準備室の私的利用とは、いただけないねぇ?」
「う……」
痛いところを突かれたまどかが縮こまる。
教師はつかつかと入ってきて……ニヤッと相好を崩した。悪戯っぽい、まるで生徒のような笑みだ。
「な~んてね。キミたちの表情や雰囲気を見れば、これが真剣な集まりだってことは分かるよ。でも教師全員がアタシみたいに心が広い、ってわけじゃないんだからね? あぁキミは一並達季クンだね。転校早々、個性豊かな先輩たちに巻き込まれて大変だね~」
早口でまくし立てられる情報に、達季は目を白黒させる。
「え、えっと……?」
「神山冴雪」
うんざりした様子の蓮が、横からフォローしてくれた。
「音楽教師で、合唱部顧問で、この図書委員会担当でもある。全校生徒の顔と名前を覚えてる、って特殊技能付きだ」
「そゆこと」
教師……神山は何故か胸を張った。
それからまどかに目をやる。
「さてと、熱中してるとこを中断して悪かったね。話を続けてよ」
「あ、でも……私的利用だと……」
「ん? アタシがいるから問題ないよ?」
流石に強気に出られないまどかに対し、神山はサラッととんでもないことを言う。
「図書担当の教師がついているなら、これは公的な会合さ。どうぞアタシのことは空気か壁だと思って、キミたちは構わず話し合ってちょうだいな」
どうやらこのまま居座るつもりらしい。
「コホン。それでは……」
気まずいトーンのまま、まどかは無理矢理話を再開した。
「この学校のこっくりさんは、明らかに『呪術』の属性を帯びた。使役霊……こっくりさんに、術者……呼び出した者が語り掛け、特定の人物を呪えと命令したわけだからね。知っての通りこっくりさんには、そもそも『願いを叶えてくれる』なんて性質はない。本来なら願ったところで無意味だっただろう。しかしどういうわけか今回は、願いが成就し、相手はきちんと死んだ。ここから分かることはあるかね?」
<次話>