降霊の箱庭 ~第三話~
<前話>
喧々囂々の騒ぎが収まった後。
図書準備室内の椅子に、当事者たち三人は座っていた。
「こちらの言い争いに巻き込んでしまって、すまなかったね」
革張りの回転椅子に腰掛けた三年生の図書委員長は、倉闇まどかと名乗った。
「とはいえ、ええと、一並君。『よく分かりません』という回答はいただけないね。質問に対して、深く考えもせずに『分かりません』と言うのは逃げだ。もっと自分の意見をしっかり持ちたまえ」
「ごめんなさい……?」
あれ? 僕、何か説教されるようなことしたっけ? 達季は複雑極まる思いだが、しかしまどかの相変わらず尊大な口調に呑まれ、イントネーションがおかしな謝罪の言葉を発するしかなかった。
まどかは、一言で表すなら「お人形さん」だ。
今時珍しい、真っ黒かつ直毛のおかっぱ。色白で小柄で、所作の端々に育ちの良さが窺える。しかしその、日本人形にも西洋人形にも見える可愛らしい外見とは裏腹に、表情はムスッとしていて無愛想。回転椅子の座高を最大にしているのもあって、随分高い位置から達季は見下ろされていた。
「マトモに相手することないぞ。委員長、頭でっかちだから」
対するは、達季と共にボロボロのソファに腰掛けた二年生、割垣蓮。
「俺も散々付き合わされてきたけどよ、結局のところこの人、自分の意見で相手を打ち負かしたいだけだから。考えるだけ無駄だっての」
「その割にはさっき、かなりヒートアップなさってましたよね……?」
「ああ、あれはやっちまった。委員長が突っかかってくるから、つい俺も意地でな」
達季の言葉に、蓮は肩の辺りで手を広げてみせた。
蓮は、俗な言い方をするなら「イケメン」だ。
吊り気味・一重・三白眼と三拍子揃っているため目つきは悪いが、彼のおそろしく整った顔立ちと合わさると、それすらも長所に見えてくるから羨ましい。厳しい校則など何のその、明らかに整髪料を使ったオールバックにシャツのボタンを第二まで開けているが、まどかとは対照的に、中身は話の分かる人物のようだった。
「君の言い分だと、まるで私が悪いようだね」
蓮の発言を受けて、まどかが黒目がちな瞳を不機嫌そうに細める。
「それに私の趣味は論破じゃない、議論だ。君が大した意見も持ってないから、こちらが一方的に言い負かしているように感じられるだけだよ」
それを受けた蓮が、今度はハハッと挑発する。
「あ~、栄養が身長じゃなく脳に行った人は流石っスね」
「うるさい馬鹿馬鹿独活の大木!」
「やめてくださいよ!」
喧嘩が再燃しそうになり、達季は悲痛な叫びを上げた。
「そ、そうだ、教えてください。そもそもどうして『こっくりさん』の話題が出たんですか? 何か図書委員会で、研究する予定があるとか?」
「む? いや違うよ」
今にも蓮に噛み付きそうだったまどかは、達季の質問を受けて途端に冷静になる。
「ちょうど一週間くらい前からかな。一年生の子が亡くなって、その原因は『こっくりさんをしたからだ』という噂話が、まことしやかに流れ始めたんだよ。教師たちは隠そうとしてるみたいだけど、人の口に戸は立てられぬ、ってね」
――……ん?
ふと、嫌な予感が湧き上がる。
「それ、学校で実行したんですか?」
「らしいね。というか、まさに君たち一年生には身近な場所だよ」
達季の問いに、まどかは。
「四階の空き教室。君も少しくらい目にしただろう?」
達季の中で。
全ての違和感が繋がった。
先日、催眠にかかったかのように引き寄せられた、あの教室。
生徒指導部の長谷川に一喝されて以来、近寄るどころか目線もやらないようにしていたが、それでもその入口に貼られた黄色い立入禁止のテープは、ふと廊下を行き過ぎる視界の端でも異様な存在感を放っていた。
そして。
「あ……あの、僕が転入したクラスに、どうやら最近亡くなった子がいるんです」
市川奈々絵の席に置かれた花。
「彼女はつまり…………こっくりさんの呪いで死んだ、ということですか?」
まさか達季のクラスに死者がいるとまでは思わなかったのだろう。蓮もまどかも驚いた顔をしている。
「……やめろよ。呪いなんざあるわけねぇだろ」
蓮が吐き捨てるように言った。
「それにこっくりさんってよ、何かパニック? みたいになるらしいじゃねぇか。死んだのもそれが原因だろ」
「いや、一概にそうとも言い切れないよ」
しかしまどかは達季を擁護するような発言をした。
「こっくりさん、なんて親しみのある呼び方をされているけど、中身はれっきとした『降霊術』だからね。素人が霊を呼び寄せるだなんて、何が起きてもおかしくないさ」
よっ、と。
まどかは座高のある椅子から飛び降り、図書室の方へ歩いていく。
「資料を探してくるよ。少し待っていたまえ」
そのまま、しばし。
達季にはもう何が何だか分からない。代理で参加しただけの委員会活動なのに、どうしてこうなった。やはり喧嘩の仲裁などという、慣れない真似をしたのがいけなかったのだろうか。
「逃げるなよ。後で余計面倒なことになるぞ」
達季の内心を見透かしたかのように、蓮がぼやいた。
やがて戻ってきたまどかは、本を何冊か携えていた。それを一旦置き、先程の定例会で使用していたキャスター付きのホワイトボードを移動させようとして、手間取る。
「大丈夫っスか、ホワイトボードに振り回されてますよ」
「本当に黙れ」
そして、ようやく体裁が整って。
「それでは、こっくりさんに関する講義を始めよう」
まどかは高らかに宣言したのだった。
「まず。『こっくりさん』と呼ばれる降霊術は、明治時代に一気に広まったとされている」
「えっ!? 昭和くらい最近じゃなくて、そんなに昔から?」
いきなり話の腰を折った達季に対し、まどかはちらっと迷惑そうな目を向けるが、しかし何も言及せずに続ける。
「はっきりしない説はいくつもあるがね。約三百年前に既に伝わっていて、日本で初めに行ったのはかの織田信長であるというもの。薩摩から発生したというもの。キリシタンが伝えた邪法であるというもの。とはいえ最も有力なのは、一八八七年前後、アメリカから伝わったというものだね。
アメリカやヨーロッパで大流行していた『テーブル・ターニング』と呼ばれる降霊術、これが日本風にアレンジされたのがこっくりさんだ。他にも同じく欧米で行われていた『ウィジャボード』や『プランセット』、中国には千五百年以上も受け継がれている『扶鸞』あるいは『扶乩』と呼ばれるものもあるが、まあ知名度の高い『テーブル・ターニング』をここでは採用しよう」
まどかはホワイトボードに、語った内容を書き込んでいく。
その姿はまるで教師だ。
「テーブル・ターニングから基本形を引き継いで、こっくりさんもまた、複数人が囲んで物体の動きを見る、という方式だった。これは今も変わっていないね。
まず、生竹を三本用意する。三本の中央を紐で三叉に結ぶ。その上に飯櫃……ご飯の入れ物の蓋を乗せる。これで装置の出来上がり。次にこの装置の三方に三人が向かい合って座り、全員で蓋の上に手を乗せる。代表者一人が『こっくりさまこっくりさま、お移りくだされ』と唱える。すると蓋がひとりでに傾き始める。質問をして右に傾いたら『はい』、左なら『いいえ』というふうに判断して、各々は質問を重ねる。
やがて時代が変わるにつれ、三叉の竹の代わりに、杯、筆記用具、硬貨などを使う方式も現れた。現代までメジャーに生き残ったのは硬貨を使う方式だったわけだね。他にも亜種として、こっくりさんが参加者に憑依して直接文字を書き始める『自動筆記法』だとか、憑依された者の口を借りて語る『直接対話法』なども一応ある。後者は最早こっくりさんというより、恐山のイタコじみてくるがね」
時たま、資料として持ってきた本を参考にしながら。
まどかは立て板に水と語る。
「そして昭和時代、つまり私達の親世代。空前の超能力ブームがやってくる。ユリ・ゲラーくらいは君たちも聞いたことがあるだろう? ……ない? 全く……スプーン曲げと言えば伝わるかね? ともかく、超能力が注目されると同時に、その裏のオカルトや超常現象、怪談のブームもまた起こったんだよ。次々組まれる心霊特番、口裂け女の噂で警察が出る、などとね。こっくりさんもまさに流行った。
当然、科学や生物学も同時に発達していたから、こっくりさんの仕組みを『学問的に』切り込む言説もあった。筋肉の微細な運動、つまり『不覚筋動』によるとするもの。参加者が無意識に動かしているとするもの。他には……そこの寝ている割垣君!」
「ふぇ、はい!?」
「例えば君がこっくりさんに『明日の天気は何ですか』と訊いたとする。すると十円玉は『い』へ動いた。この時君ならどう思うかね?」
「『い』? い、から始まる天気なんてあります? い……いう、いえ、いお……」
「そう、回答として成立し得る言葉を脳内で探すだろうね。結果『い』『か』『ず』『ち』と十円玉は動く、いや参加者がそのような回答に『動かす』。そうか雷か。敢えて『いかずち』と答えたのは、こっくりさんが古い霊だからだな、ともっともらしい理由で補って、皆は納得する。こういった具合だね。これを『予期意向』という」
ほーっ、と達季は感心していた。
ただ質問をすれば十円玉が動く、とだけ思っていたこっくりさんが、急に奥深いものに見えてきた。
だが蓮はまどかの話を聞いて、むしろ不満を持ったようだ。
「じゃあ今まさに委員長が言った通り、こっくりさんなんていないんじゃないスか。ただの電気信号、ただの連想ゲーム的なこじつけなんでしょ?」
「いいや。それらはただ『そういう見方もある』というだけだよ」
まどかは引かない。
「例えば君、『神』は存在すると思うかね? 『天国』や『地獄』は?」
「いよいよ危ない宗教っスか? 神も天国も地獄も、見たことないし行ったことないから分かりませんって」
「その通り。では何故こっくりさんや霊的なものに限って、君はハッキリ否定するのかね? 見たことないし死んでみたこともないのだろう? 君がただ出会っていないだけで、それら存在は『いる』かもしれないのだよ?」
「あの……すみません、それって『悪魔の証明』ですよね?」
まどかの追い込みが頂点を迎えた辺りで、達季は小さく手を挙げた。
「テレビで見たことあります。確か、『ない』ということを完全に証明するのは不可能に近い、ってやつですよね。それに逆にいえば、こっくりさんや霊的なものが『いる』と完全に証明するのもまた、難しいと思うんですが……」
「…………」
達季の言葉を受けたまどかは、あさっての方向を見た。
「バレたか」
「委員長テメェこの野郎!!」
蓮がソファから立ち上がった。
「なァにが『私の趣味は論破じゃない』だ! 思いっ切り丸め込もうとしてんじゃねぇかこの鬼! 悪魔! 詐欺師!」
「ふっふふふ」
怒り狂う蓮に向けて、まどかは初めて笑顔を浮かべてみせた。人の悪い笑みだ。
「でもまあ、こっくりさんは危険だよ。パニック状態や集団ヒステリー、過呼吸を引き起こしかねないのは事実だからね。それに、こっくりさんを行う時間帯といえば、学校の終わった夕方が主だろう?」
それから真面目なトーンに戻る。
「夕方には『魔』が現れる。逢魔が時、誰ぞ彼時とも呼ばれる、昼と夜のちょうど間の時間帯だ。『狭間』『辻』『現実の延長線上にある非現実』という不安定な境界状態に、降霊会など開こうものなら……本当に何が出てきても、おかしくはないのだよ」
「…………」
本の日焼けを防ぐために閉ざされたカーテンは、西日に赤く染まっている。
<参考文献>
1) 一柳廣孝 (2005) 『「学校の怪談」はささやく』 青弓社
2) 一柳廣孝 (2021) 『<こっくりさん>と<千里眼>・増補版 日本近代と心理学』 青弓社
3) 岡本和明・辻堂真理 (2017) 『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』 新潮社
4) 岸祐二 (2002) 『手にとるように民俗学がわかる本』 かんき出版
5) 志賀市子 (2003) 『中国のこっくりさん―扶鸞信仰と華人社会』 大修館書店
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