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降霊の箱庭 ~終~

<前話>








一時間が経過して、約束通り空き教室にやって来た神山みわやまは、達季たつきたち三人が教室のあちこちを調べているのを見て、目を点にした。
「あれ? どんな大きなことをしでかすかと思ったら、大掃除? アタシはもっとこう、能力バチバチのバトルみたいなのを期待してたんだけど」
「もう終わりましたよ」
まどかが呆れた調子で言った。
「それより先生も手伝ってください。一並ひとなみ君曰く、この教室のどこかに、大事な手紙が隠されてるそうです」
「え~……?」
何が何やらといった様子の神山みわやまだが、危ないことでないならまあ良しと思ったのだろう。言われた通りに教室に足を踏み入れた。

四人は探す。教室のあちこちを。
今でこそ空き教室だが、一年前もその前も普通に使われていた空間だ。机の中やロッカーの中など、容易に目に付く場所にはないだろうと思われた。
手紙。薄くて軽くて、どこにでも入り込みそうなもの。
よって黒板の裏やカーテンの陰など、とにかく細かい場所に集中して探した。


数十分が経過した頃。
「……おい、これじゃねぇか?」
れんが声を上げた。
全員集合する。蓮は授業用の大きな定規を使って、掃除用具入れと床の僅かな隙間を探っていた。
「ひでぇことするよな。よりによって、閉じ込めた場所の真下に隠すなんてよ」
よく見ると薄く粘着テープの跡がある、掃除用具入れ。その下から大量のほこりと共に、一葉いちようの封筒が出てきた。表面こそ汚れているものの、破れたり濡れたりした形跡はない。
薄緑の地に若葉のイラストがあしらわれた、シンプルながら上品な封筒。表には綺麗な字で「神山みわやま冴雪さゆきさんへ」と書かれている。

裏面の差出人は、「古栗こくり俊一しゅんいち」。
ハッ、と神山みわやまが息を呑むのが分かった。

やがて彼女はそっと封筒を拾い上げると、埃を払い、震える手で中の便箋びんせんを取り出した。
ゆっくりと赤縁あかぶち眼鏡めがねの奥の瞳が文面をなぞる。最後まで読み終えると、また冒頭に戻って、何度も何度も。
「……あっ」
と、封筒の中から何かが舞い落ちた。
床に接する直前、達季はどうにか空中で受け止める。




それは一枚の絵だった。
葉書はがきサイズの白い紙に、デッサンで描かれた絵。
古いデザインの制服を着た女子生徒が、ゆったり腰掛けて本を読んでいる。頭頂部でまとめた髪に、濃い色のふちの眼鏡。よほど本の内容が面白いのだろうか、その口元には小さく笑みが浮かんでいる。
とてもシンプルな絵だ。色は一切使われていないし、まだ技術的につたないところもある。だが描き手の、彼女に対する深い親愛の情は、素人しろうとでも分かるほどハッキリ伝わってきた。
何気ない日常を切り取った一枚。
ふと視線をやった先に映る、大切な存在。
そしてこの絵を見るだけで、手紙に書かれている内容も何となく想像できるのだった。


それは一人の男子生徒が描いた希望。
死んでもなお心残りにしていた、想いの結晶。




「ああ……受け取ったよ」
神山みわやまがぽつりと言った。
「古栗……馬鹿だなぁ。こんなのわざわざ書かれなくても、バレバレだったよ。キミは分かりやすいからね」
その声に混ざる、水分。
「この世界は箱庭だって言ったよね。でも、でもアタシは、キミとなら……キミと一緒なら、こんな狭い世界でもまあまあ楽しく生きていけるかなって、思ってたんだ……!!」
達季たちは何も言えないまま、子どものように泣きじゃくる神山みわやまを、同じく胸が裂かれる思いで見守っていた。






一週間の休校が明け、さらに数日が経過した。
米野よねの中学校ちゅうがっこうは生徒・教師共に、落ち着きを取り戻しつつあった。
というのも、休校中のとある日を境に、一連の「こっくりさん事件」によるものと思われる被害者がぱたりと出なくなったのだ。
皆、不思議がった。急激に収束した要因は一体何だろうと。
その後もこっくりさんを実行した者は数名いたようだが、しかし呪いを聞き届けてもらえるどころか、十円玉そのものがピクリとも動かなかったらしく、生徒間にはどこか拍子抜けした空気が漂っていた。
「中学生という多感な時期に起こった、オカルトチックな流行」として、やがて片付けられることだろう。




「こんにちは」
達季は挨拶する。
「よう」
「やあ」
ボロボロのソファに座っている蓮が、革張りの回転椅子でふんぞり返っているまどかが、それぞれこちらに顔を向ける。
久し振りに行われた委員会活動。解散となったその後、まるで示し合わせたかのように、三人は図書準備室に集まっていた。
「やあやあ一並クン。もうすっかり奇人きじん変人へんじんの仲間入りだね」
今回はそこに神山みわやまもいる。奇人変人の筆頭たる彼女のその言葉に、達季は苦笑して、それから背後を見やった。
「……失礼します」
挨拶して入ってきたのは、上島うえじま文美ふみと、今日ようやく学校に来られた鈴木すずきゆうだった。まだ少し本調子ではないようだが、それでも先日より顔色が良くなっている。
「改めてお礼を言いにきました。皆さん、私達を助けてくださって、本当にありがとうございました。……ほら、ゆうも」
「あ、あの……すみません、ありがとうございました」
文美が、促されたゆうが、順に頭を下げた。


汚す可能性のある本を準備室の外に出して、ささやかなお茶会が開かれる。めいめいが語り合って、和やかな雰囲気が満ちていた。
「そういえば一並君は、臨時の図書委員だったね?」
ふと、まどかが言った。
「鈴木さんがこうして戻ってこれたんだ、残念ながら君はお役御免やくごめんということになるんじゃないのかね」
「あ……」
名を出されたゆうが達季と顔を見合わせ、気まずそうにする。
「……そのことなんですが」
達季は姿勢を改め、最近考えていたことを口に出した。

「この学校、文芸部にあたる部活がないですよね? だから僕、部を設立しようと思うんです」

「ふむ?」
まどかが、図書委員会担当である神山みわやまが、興味深げに身を乗り出した。
「あちこち見学させていただいても、結局入りたい部活が見付からなくて。僕が無趣味なのも悪いんですが、それよりも、割垣わるがき先輩や倉闇くらやみ先輩と一緒に過ごした数日が、何にも勝るくらいとても楽しかったんです」
「おう、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」
スナック菓子に手を伸ばしかけていた蓮も、ニッコリ笑う。
「はい。ですので、部活を新たに作って……そこにお二人も来てほしいんです」

自分でも驚いていた。達季は平和に平穏に平凡に生きるのがモットーだったはずだ。こんな積極性を発揮するなど、らしくない。
もしかすると。「こっくりさん事件」の解決に関わったことが、その過程で古栗さんの思いを知ったことが、何か自分を変えるキッカケになったのかもしれない。

「いいよ」
「は?」
達季の提案に、まどかは即座に頷き、蓮は菓子を取り落とした。
「もちろんいいとも。図書委員の業務は少ないし、本は好きだからね。人生のかてにさせていただこう」
まどかは満足げだった。ようやく君も分かってきたね、という表情だ。
「いや別に入部はいいけど、委員長も一緒なのかよ? あの眠い雑学を委員会後も聞かされるなんて御免ごめんだぜ?」
対する蓮は苦言を呈した。
「よかったね割垣君、これは天から与えられたチャンスだよ」
「チャンスじゃなくてピンチです! また余計なことに巻き込まれたらどうするんスか!」
「君はそういうのに首を突っ込むタイプじゃないのかね?」
「控えてるんです~。怪我したし制服のシャツは破れたし、妹にめちゃくちゃ怒られたんですからね! しばらくは大人しくさせてくださいよ」
「大人しくする? 君が? 熱でもあるのかね」
「あ~うるさいうるさい!」
ギャンギャンと始まった二人の言い争いに、神山みわやまは大笑いし、達季は慌て、文美は呆気に取られていた。
「……あの、」
と、それまでずっと静かだったゆうが、達季の脇から声を発した。
「はい?」
達季は向き直る。
「もし……もしよかったら、わたしもその部活に入っても……何でもない、ごめんなさい」
「いいですよ」
もじもじと消えていったゆうの言葉を、達季はすくい上げた。
「もちろん、大歓迎です。よろしくお願いします」
微笑む達季。ゆうもホッとして顔をほころばせた。
「うん……うん! これからもよろし、」






ケホッ、とそののどが鳴った。






激しく咳き込みながら、ゆうは突然その場に倒れ込んだ。
「なっ、え!? 大丈夫!?」
何事かと駆け寄る文美の目の前で、床に横たわったゆうは手足を突っ張らせ、ビクン、ビクンと痙攣けいれんし始めた。
「け……がっ、う、げっ……!」
和やかな雰囲気は一瞬で吹き飛んだ。
ゆうの顔は苦悶と恐怖に歪んでいた。指の一本一本が硬直し、全身の筋肉がに力が入ってぶるぶる震えていた。そして喉に何かが詰まったかのような咳。
「見せて!」
いち早く我に返った神山みわやまが、暴れ回るゆうを背中側から抱きかかえ、拳で鳩尾みぞおちをグッと押し込んだ。
ぐぼっ、とえずく音がして、ゆうが何かを大量に吐き出した。


紙片・・


何か書かれているそれら紙片には見覚えがあった。
達季たちが儀式を行った後、細かく破いて燃やし捨てたはずの、こっくりさんの用紙。
神山みわやまの腕を振りほどいて暴れ回るゆう。奇しくもそれは、伝え聞いた市川いちかわ奈々絵ななえの最期と酷似していた。
「そんな! ゆう! なんで!?」
吐瀉物としゃぶつに制服のスカートが浸かるのも構わず、文美はしゃがみ込んで必死に呼び掛けた。
「私達、助かったんだよ!? 奈々絵の分まで生きていこうって、約束したでしょ!? ねぇ行かないで! やめて! しっかりしてよ、ゆう!!」
返ってくるのは荒い呼吸。器官に詰まった紙片が呼吸困難を引き起こしているのは明らかだった。
「あ……が、あぁ……あ」
痙攣しながらもゆうは顔を上げ、再び紙片を吐き出して、それからビクンと一つ大きく跳ねた。
目を潤ませる。何も分からない、と首を振る。
「ふみ……ちゃ、」
震える手を伸ばして、
「…………な、ん…………で……………………」
その手は文美に届く直前、ぱたりと落ちた。

 

目を見開いたまま、ゆうは動かなくなった。




沈黙。
誰もが、己の前に広がる光景を信じられないでいた。
おそらく全員が思い浮かべている、一つの可能性。しかしそれを口にするのはあまりにも恐ろしかった。
「……あ…………」
蒼白になった文美が、かくんと気を失ってゆうの横に並んで倒れた。
「ぜ、全員、ひとまず図書室に移動して!」
やはり一番に動いたのは神山みわやまだった。
「現場に触れないこと! アタシは救急車呼んでくるから!」
図書準備室からバタバタと走り出ていく彼女。残された三人は頭が真っ白のまま、ぼんやりと指示通りに隣の図書室に移った。
無言のまま互いに顔を見合う。それぞれ何か言いたいことがあって、しかしどう言えばいいのか分からなかった。
「おい……これ、どういうことだよ」
結局、口火を切ったのは蓮だった。
「こっくりさんの呪いとやらは、終わったんじゃなかったのか?」
そして話し出すと止まらなくなったようで、蓮は誰に向けるでもない怒りと焦りを吐き出した。
「なんでだよ! 万事解決ハッピーエンド、じゃなかったのか!? 全然終わってねぇじゃんか! どうなってんだよこれ、なぁ!!」
「……分からない」
青い顔のまどかは、前髪に手を入れて首を振った。
「呪いの大元おおもとである古栗とは、一並君が話をつけた。彼の心残りである手紙も、きちんと見付け出して先生に渡した。こうなるはずがない。なるはずがないんだよ! なのにどうして……」
理解不能。
こんなことは全く想像していなかった。
何か……何か、見落としがあったのだ。


「…………あ」
強く動揺する思考の中で。
達季は一つ、思い出した。
「そういえば、古栗さん……僕と話をした時、最後の最後に言ったんです。『ごめんね・・・・』って。あの時は特に気にも留めなかったんですが、よくよく考えると不自然に感じます」


そうだ。何故気付かなかったのだろう。
『ごめんね。本当にみんな……』
迷惑をかけた達季たちや、呪い殺した相手に向けた謝罪だと思っていた。だがもしそれが勘違いだったとしたら?
例えば、この状況・・・・そのものに・・・・・ついての・・・・謝罪・・だったとしたら?

ごめんね。こんな状況にしてしまって、ごめんね。

「……疑問はあったんです」
達季はさらに語る。
「古栗さんは確かに、人間の負の感情に反応して呪いを振り撒く存在でした。でも一介の幽霊に、学校全体を陥れるほどの力があるんでしょうか?」
「別に、できるんじゃねぇのか?」
「でもこっくりさんに関する講義で、話題が出ましたよね? 『ただの中学生ごときに呼び出せる霊が、強力だとは思えない』『霊にもそれなりの資質が必要』って。なら、中学校全体を包み込み、最後には犠牲者の使役までできていた古栗さんは、こっくりさんで呼び出された霊としてはあまりに強力すぎませんか?」
「っ!」
まどかがハッとした。
「そうか……つまり君はこう言いたいわけだね? 古栗は本来、本当に弱い霊だった。だからこっくりさんで呼び出せた。その彼が強大な存在となり得た背景には、何らかの力が働いていたかもしれない、と」


何らかの。
あるいは、何者かの・・・・




こっくりさん。




「まさか……」
蓮が息を呑む。
「この事件の背景には……」
まどかが目を見開く。
「もっと強い何かが、隠れていたんです」
声の震えを、達季は抑えられなかった。






キーン……
 コーン……
カーン……
 コーン……




放課後のチャイムが鳴り響いた。
勝利宣言のような、獣の吠え声のような、高らかで禍々まがまがしい響きだった。





約57,500字

降霊の箱庭
<完>






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